いまのミランになくてはならない存在だ。しかし――。
いきなりミランにやって来た本田は、たしかに大変だっただろう。でも彼も時が経つにつれ、イタリア・サッカーに慣れるにつれ、活躍ができるようになってきた。新監督のインザーギと良い関係を築けたことも大きいだろう。もともと本田は素晴らしいテクニックを持っているし、シュート力もある。とくにFKは優れている。彼のプレーを見ていると、試合の流れをしっかりと読み取れていることも分かる。
今シーズンは開幕前からミランの一員として準備できたので、身体もできているようだ。本田は見違えるような活躍を始めた。非常によく働き、よく走る。守備にも手を貸す。そしてなにより、ここまで多くの重要なゴールを決めている。6ゴールはチーム最多、すなわちミランの得点王だ。あまりの変貌ぶりに、いま活躍しているのが本物の本田で、昨シーズンのダメダメだった本田は実は双子の弟だったなんていうジョークが、イタリアで飛び交っているくらいだ。
いまのミランにとって、本田はなくてはならない存在だ。それははっきりしている。しかし、これがかつての黄金期のグランデ・ミランであったなら――。残念ながら本田はレギュラーにはまず入れないだろう。控えとしてベンチに座り、時々交代してチームに動きを与えるような存在……、いや、もしかしたらベンチにさえも入れなかったかもしれない。本来のミランとはそんなチームのはずだ。
取材・文:ズドラフコ・レイチ
協力・翻訳:利根川晶子
今シーズンは開幕前からミランの一員として準備できたので、身体もできているようだ。本田は見違えるような活躍を始めた。非常によく働き、よく走る。守備にも手を貸す。そしてなにより、ここまで多くの重要なゴールを決めている。6ゴールはチーム最多、すなわちミランの得点王だ。あまりの変貌ぶりに、いま活躍しているのが本物の本田で、昨シーズンのダメダメだった本田は実は双子の弟だったなんていうジョークが、イタリアで飛び交っているくらいだ。
いまのミランにとって、本田はなくてはならない存在だ。それははっきりしている。しかし、これがかつての黄金期のグランデ・ミランであったなら――。残念ながら本田はレギュラーにはまず入れないだろう。控えとしてベンチに座り、時々交代してチームに動きを与えるような存在……、いや、もしかしたらベンチにさえも入れなかったかもしれない。本来のミランとはそんなチームのはずだ。
取材・文:ズドラフコ・レイチ
協力・翻訳:利根川晶子
ズボニミール・ボバン
1968年10月8日生まれ、クロアチア南部のイモツキ出身。柔軟なボールスキルと類稀なパスセンスで観客を魅了したゲームメーカー。85年にクロアチアの名門ディナモ・ザグレブ(当時はユーゴスラビア)でプロデビューを飾り、バーリを経て92年にミランへ移籍。セリエAを4度制し、93-94シーズンにはチャンピオンズ・リーグ優勝に貢献した。ユーゴスラビア解体後に定着したクロアチア代表では52試合に出場して12得点。98年のフランス・ワールドカップでは、チームを3位に導いた。02年の引退後は解説者となり、現在はイタリアのテレビ局『SKY』で活躍中だ。
1968年10月8日生まれ、クロアチア南部のイモツキ出身。柔軟なボールスキルと類稀なパスセンスで観客を魅了したゲームメーカー。85年にクロアチアの名門ディナモ・ザグレブ(当時はユーゴスラビア)でプロデビューを飾り、バーリを経て92年にミランへ移籍。セリエAを4度制し、93-94シーズンにはチャンピオンズ・リーグ優勝に貢献した。ユーゴスラビア解体後に定着したクロアチア代表では52試合に出場して12得点。98年のフランス・ワールドカップでは、チームを3位に導いた。02年の引退後は解説者となり、現在はイタリアのテレビ局『SKY』で活躍中だ。