レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第49回 B・チャールトン(元イングランド代表)

カテゴリ:ワールド

サッカーダイジェストWeb編集部

2019年06月06日

尊敬されたコンプリート・フットボーラー

今に至るまで、唯一の代表タイトルである66年W杯でイングランドの核として活躍したチャールトン。今なお、同国サッカー最大の偉人である。写真は、ディフェンディングチャンピオンとして臨んだ70年メキシコW杯(写真はブラジル戦)。 (C) REUTERS/AFLO

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 名将バスビーの下、時に大金を投じて名手を獲得し、戦力を整えつつあったマンチェスター・Uだが、ピッチ上でこれらを纏めたのはチャールトンだった。チーム再生の1年目、38試合出場でチーム最多の29得点を記録し、リーグ2位に貢献している。

 その後は紆余曲折を経ながら、64-65、66-67シーズンにリーグを制し、FAカップでは62-63シーズンに初戴冠、チャリティーシールドも4度の優勝を飾ったマンチェスター・U。デニス・ロー、ジョージ・ベストといったタレントらが輝きを放つ一方で、チャールトンは安定したプレーで中盤に君臨、絶妙な上がりから決定的なゴールを生み出した。

“天才児”ベストから「コンプリート・フットボーラー」と称されたチャールトン。中盤の構成力に秀で、左足の強烈な一撃、いわゆる「キャノンシュート」という武器を有していたが、そういった技術面もさることながら、知性、耐久力、忍耐力など、選手に必要な要素を全て備えていたことで、人々の尊敬と信頼を一身に集めたのである。

 悲劇を乗り越えて着実に歩みを進め続けたマンチェスター・Uは67-68シーズン、ついに欧州の頂点に立つ。ウェンブリーでのベンフィカ戦は、延長戦にもつれ込む激闘となったが、4-1で青いユニホームを身に纏った「赤い悪魔」が制した。チャールトンは巧みなヘッドでの先制点、さらにトドメの4点目を右足で叩き込んだ。

 大歓声と拍手を浴びながら、ビッグイヤーを授かり、ロンドンの夜空に掲げたチャールトン。悲劇の生き残りであるバスビー監督、そしてMFビル・フォルケスとは、言葉なしに抱擁を交わした。10年前の誓いは、見事に果たされたのである。
 この戴冠はイングランド勢として初めての快挙となったが、彼にはもうひとつ、「母国初」の勲章がある。それは、イングランド代表として手にしたものだ。

 58年4月19日、つまり悲劇からわずか2か月後に、スコットランド戦でA代表デビューを果たしたチャールトン。同年夏に早くもスウェーデン・ワールドカップで最終メンバー入り。ここでは出場はなかったものの、62年チリ大会では全4試合でスタメンに名を連ね、アルゼンチン戦では決勝点となる初ゴールを記録している。

 そして迎えた66年大会。3度目のW杯は母国開催であり、初の世界制覇は至上命令でもあった。アルフ・ラムゼーに鍛えられた代表チームは、中盤の厚さをウリにしていたが、ここで攻守において重要な役割を担ったのは、もちろんチャールトンだった。

 グループリーグで、イングランドは3試合で4得点、失点はゼロという、まさに堅実なチームらしい数字を残したが、チャールトンは中盤で精力的な守備を見せて無失点に貢献。攻撃では、メキシコ戦でチームの初得点となるゴールを決め、初勝利をもたらした。

 首位通過のイングランドは、アルゼンチンとの大荒れの一戦でもクリーンシート(1-0)を達成し、準決勝ではこの大会で旋風を巻き起こしたポルトガルを2-1で撃破。殊勲の2ゴールは、チャールトンによるものだった。

 そしてウェンブリーでの西ドイツ(当時)との決勝、ジョフ・ハーストのハットトリックなどで、延長戦の末に4-2の勝利を挙げ、イングランドは悲願の初優勝を遂げた。チャールトンは得点に直接絡まなかったが、その貢献度の高さは抜群であり、大会MVPに選出された。

ちなみにこのチームには、兄ジャッキーもDFとして名を連ねており、兄弟での世界一という名誉も手にしている。

 世界王者として、2年後の欧州選手権では3位という最高成績を記録したイングランドは、70年メキシコW杯に連覇を狙って臨んだ。チームは歴代最強の呼び声高く、33歳となったチャールトンも健在だった。

 後に全勝優勝を遂げるブラジルと一進一退の好勝負を演じ、グループ2位で決勝トーナメントに進出。準々決勝の西ドイツ戦では49分までに2点を先取し、勝利は確実と思われたが、次ラウンドに向けての温存という意味でチャールトンが70分にベンチに下げられてから追いつかれ、延長戦でゲルト・ミュラーの逆転ゴールを許してしまった。

 82分にウーべ・ゼーラーのヘッドで追いつかれた瞬間、ベンチを立ち、ロッカールームに帰ってしまったチャールトン。彼の大舞台でのキャリアは、小さくない悔いを残すかたちで幕を閉じることとなった。

 106試合出場(現在歴代7位)、そして49得点(2位)という当時の最高記録を樹立して代表チームを退いた彼は、73年には758試合出場・249得点(いずれも歴代2位)という数字を残し、キャリアの大部分を過ごしたマンチェスター・Uを去った。

 その後、プレストン・ノースエンドでプレイングマネジャーを務めたり、アイルランドやオーストラリアのクラブで短期間プレー。その後はクラブ役員として古巣マンチェスター・U、ウィガンで活動し、以降は様々な立場から、サッカー界を見守り続けている。

 66年にはバロンドールも受賞した偉人は、69、74年に大英帝国勲章(OBE、CBE)、94年にはナイトの称号「サー」を授けられた他、2012年には日本でも旭日小綬章を受章。その功績は、国内外を問わず、高く評価されている。

「行儀が良い選手といわれるが、調子が悪いと、よく相手に毒づいていたものだよ(笑)」と告白するチャールトンだが、彼がサッカー史上最高の紳士であることは、紛れもない事実である。


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