【奥大介氏・追悼コラム】思い出される“大ちゃん”の原点と本質

カテゴリ:Jリーグ

寺野典子

2014年10月20日

大敗を喫した古巣・横浜FM戦で奥の現役生活は幕を閉じた…。

2003、04年はJリーグ連覇を達成。キャプテンとして横浜FMの黄金時代を築き上げ、自身もキャリアの絶頂を迎えた。 (C) SOCCER DIGEST

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 しかし、アジア王者をはじめ、磐田で数々のタイトルを獲得しても、中心選手と呼ばれることはなかった。日本代表の常連選手ではあったが、レギュラーの座を手にできたわけではない。結果を手にしてもある種の閉塞感を抱いていた奥へ、移籍というチャンスが訪れた。2002年、横浜F・マリノスへの移籍を果たす。
 
 日韓W杯のメンバーには選ばれなかったが、横浜FMではキャプテンマークを腕に巻き、03、04年シーズンと連覇を達成。中心選手としてのプレッシャーを背負いながら、さらなる進化を遂げた。
 
 しかし06年シーズン終了後、戦力外通告を受ける。成績が振るわない現状を思えば、年俸のダウン提示は想定内だったが、まさかのゼロ円提示。落胆は大きかった。そんな奥の元へ、J1へ昇格したばかりの横浜FCから獲得のオファーが届いた。
 
 07年8月11日、J1リーグ第19節。日産スタジアムのピッチに奥は立った。相手は横浜FMだ。18節終了時点で横浜FCは3勝1分14敗と最下位。これほど、勝てないシーズンを過ごしたことはなかった。敗戦で沈む空気を変えるべく、悪戦苦闘が続いていた。自信を失うこともあった。それでも、解雇された相手に無様な姿は見せたくはない。奥には意地があった。しかし、1-8と大敗する。
 
 ロッカールームからバスまでの長い廊下を、肩を落として歩く奥はとても小さかった。サッカーに対する情熱の全てが抜けてしまったように見えた。その後、2試合に出場しているが、彼の現役生活はこの横浜FM戦で終わったのだと思う。拾ってくれたクラブへ全く恩返しができなかった……。そんな失意を抱えたまま、クラブの慰留を固辞し、07年シーズン、奥は現役を引退した。
 
――◇――◇――
 
「頑張っているヤツに目が行くねん。自分が高校の頃は頑張ってなかったから、『こいつ、ようやるなぁ』って応援したくなるし、チャンスをあげたくなるねん」
 
 07年秋に東京都の多摩大目黒高で指導者としてのキャリアをスタートさせた頃、そんな風に話していた。奥が監督に就任するまでは実績のないチームだったが、11年の選手権予選では、帝京高と肩を並べるまでになった。
 
 その帝京戦では、2-1でリードしたまま終了の笛が鳴ったにもかかわらず、直前の間接FKでのファウルが認められて試合が続行され、同点、そして延長戦の末に敗れた。誤審騒動として取り沙汰されるも、奥は「最後まで粘り強く戦えなかったことは事実だから」は語っている。それが勝負の厳しさ、サッカーなんだ、と。
 
 11年秋からは、横浜FCの強化部長に就任。現役時代に遂げられなかった恩返しを果たしたいと慣れないフロントワークに奔走したが、12年末に退任。その後は、刑事事件もあり、サッカーから遠ざかる生活を送っていた。

【写真で振り返る】奥大介氏の勇姿
 

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