「セカンドチーム」は代表の中心で活躍してもおかしくなかった選手たち
セカンドチームは、本当だったら代表の中心として活躍していてもおかしくなかった選手たちを集めたチームだ。その期待値からすれば“残念だった選手”と言えるかもしれない。
たとえば、昨年のJリーグでMVPに輝いた家長昭博。豊富な運動量でピッチ上のあらゆるポイントに顔を出してテクニックを生かしたパスでチームを動かし、守備の負担も厭わないチームのダイナモである。若い頃からそんなプレーをしていれば、おそらく日本代表の中心選手となっていたはずなのだが、当時は淡白な選手という印象だった。
戦う気持ちが十分でなかったとか、監督との確執があったとか、あるいはケガに泣かされたなど、なんらかの事情で持てる才能を十分に発揮出来なかった選手は数多い。
たとえば、昨年のJリーグでMVPに輝いた家長昭博。豊富な運動量でピッチ上のあらゆるポイントに顔を出してテクニックを生かしたパスでチームを動かし、守備の負担も厭わないチームのダイナモである。若い頃からそんなプレーをしていれば、おそらく日本代表の中心選手となっていたはずなのだが、当時は淡白な選手という印象だった。
戦う気持ちが十分でなかったとか、監督との確執があったとか、あるいはケガに泣かされたなど、なんらかの事情で持てる才能を十分に発揮出来なかった選手は数多い。
宇佐美貴史や阿部勇樹、松田直樹はキャップ数も多く、とくに阿部は南アフリカ大会での躍進の立役者になっているので、“残念だった選手”と呼ぶのは奇異なのかもしれないが、彼らももっとできたはず。宇佐美は天才的FWだったが、守備に手を抜く悪癖を治せないままだ。阿部は、器用さが災いして代表でもクラブでも、MFで使われたり、DFで使われたりしたが、本来はボランチとしてチームの中心になるべき選手だった。松田も代表でのプレーに執着を持っていれば、中澤を超えていたかもしれない天才DFだった。
なお、セカンドチームの監督は西野朗氏を選んだ。華麗なテクニックを持つFWで、サッカーがまだマイナーな存在だった時代からアイドル的な人気を持ったスーパースターだった西野朗という選手も、その才能を発揮し得ないままに終わった選手の一人だったからである。
文●後藤健生(サッカージャーナリスト)
なお、セカンドチームの監督は西野朗氏を選んだ。華麗なテクニックを持つFWで、サッカーがまだマイナーな存在だった時代からアイドル的な人気を持ったスーパースターだった西野朗という選手も、その才能を発揮し得ないままに終わった選手の一人だったからである。
文●後藤健生(サッカージャーナリスト)