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「こいつら、巧いよ」トルシエが惚れ込んだ黄金世代。平成日本サッカー史に与えた、絶大なる影響

カテゴリ:日本代表

元川悦子

2019年04月23日

若き稲本は言った。「自分たちが日本の歴史を変えていくんや」

39歳になったいまも、G大阪の主軸としてフル稼働している遠藤。日本代表の最多キャップ数を誇る。(C)SOCCER DIGEST

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 彼らが果たしたもうひとつの重要な仕事は、日本代表のレベルアップだろう。
 
 日本がワールドカップ初出場した1998年フランス大会に18歳の小野が参戦したのを手始めに、黄金世代は徐々に代表の軸を担い始め、2002年日韓大会では小野、稲本、中田浩二が絶対的な主力として戦い、史上初の16強入りに貢献する。小笠原や曽ヶ端準もメンバーには入っていたし、高原も直前の肺動脈塞栓症発症がなければFWの一角を占めていたはずだった。それだけの若き才能が、トルシエジャパンを活性化していたのは間違いない。
 
 続く2006年ドイツ大会は2002年組に加地亮や遠藤らも加わった。ひとつつ年下の巻誠一郎や玉田圭司らを含めれば、およそ半数が黄金世代という状況だった。それだけ豪華な陣容を擁しながらグループリーグ惨敗に終わったのは不本意にほかならないが、主たる敗因はコンディショニングやジーコ監督の選手起用法や戦術的な問題と言われ、選手個々の能力が低かったわけでは決してない。
 
 それを象徴するように、4年後の2010年南アフリカ大会では遠藤が絶対的ボランチに成長。3度目のワールドカップに挑んだ稲本もクローザーとしてチームを支えた。「自分たちが日本の歴史を変えていくんや」と若かりし日の稲本はよく語っていたが、そんな自覚を黄金世代はみな持ち続けていたはず。高いレベルを目ざす飽くなき向上心とチャレンジャー精神もまた、この世代の特長だったのだ。

 
 その後、遠藤だけは2014年ブラジル大会まで代表キャリアを続け、国際Aマッチ152試合出場という前人未到の数字を叩き出した。
 
「代表は目標のひとつではあったけど、ここまでやれるとは想像もしていなかった。1つひとつカテゴリー別の試合に出たいという気持ちもあったし、五輪が終わった後はA代表しかないので、つねに選ばれたいという想いはもちろんありました」
 
 150キャップに到達した2015年アジアカップ(オーストラリア)で彼はしみじみとそう語ったが、同世代の競争が熾烈だったからこそ、そこで勝ち抜いて上に行きたいという想いがひと際、強かったのだろう。
 
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