失敗に終わった名古屋での思い出は?
軽妙な話術で思い出を振り返るリネカー。そんなイングランド・サッカー界のレジェンドは、1992年から約2年間在籍した名古屋グランパスのユニホームを手渡されると、思わず声を上げ、「オオー! ナゴヤグランパスエイトッ!」と笑いながら叫んだ。
1986年のメキシコ・ワールドカップ得点王、そして元イングランド代表のエースという肩書を引っさげて来日し、当時のJリーグ最高年俸3億円(推定)を手にしていたリネカーへの期待度は“半端なかった”。現在のアンドレス・イニエスタやフェルナンド・トーレス、ダビド・ビジャに対するそれである。
1986年のメキシコ・ワールドカップ得点王、そして元イングランド代表のエースという肩書を引っさげて来日し、当時のJリーグ最高年俸3億円(推定)を手にしていたリネカーへの期待度は“半端なかった”。現在のアンドレス・イニエスタやフェルナンド・トーレス、ダビド・ビジャに対するそれである。
だが、キャリアの晩年を迎えていた当時32歳のリネカーは、多くのファンが期待するほどの活躍ができず……。結局、公式戦23試合出場で9ゴールしか挙げられないまま、94年9月に現役引退を発表してクラブを去ったのだった。
名古屋ファンのみならず、Jリーグファンの失望を買った時代をリネカーは次のように振り返っている。
「ワオ! グランパスエイトだ!(笑) 凄いな。このショッキングレッドは忘れもしないさ。あまりいい仕事ができなかったからね。でも、グレートな思い出だよ。Jリーグへの挑戦は僕にとって真新しいことだったから興味深い時間だった」
結果を残せず、非難をされた日本でのプレーだったが、リネカーには今も忘れがたき記憶として残っているようだ。