「変わったなというプレーを見せていきたい」。大会前、遠藤はそう言っていた
それは、ロシア・ワールドカップ後、浦和からシントトロイデン(ベルギー)に移籍し、ボランチとしてプレーしてきたことの成果でもあった。
「ロシアではまったく試合に出場できずに悔しい思いをした。自分が勝負できるポジションを獲得して、次のワールドカップは自分が中心になってやるぐらいにならないといけない」
遠藤は覚悟を決め、海外に飛び出した。
海外ではマンツーマンなど守備のやり方が日本とは異なることが多く、困惑もあったが、屈強な外国人選手と対峙して球際の強さが磨かれ、粘り強く守備する力をさらに鍛えられた。今回のアジアカップでもそのプレーが随所に見られた。遠藤のように最終ラインの前で壁になれる選手がいると、センターバックは気持ち的に余裕を持ってプレーできる。吉田や柴崎岳らは遠藤の存在の大きさを一番感じていただろう。
「ロシアではまったく試合に出場できずに悔しい思いをした。自分が勝負できるポジションを獲得して、次のワールドカップは自分が中心になってやるぐらいにならないといけない」
遠藤は覚悟を決め、海外に飛び出した。
海外ではマンツーマンなど守備のやり方が日本とは異なることが多く、困惑もあったが、屈強な外国人選手と対峙して球際の強さが磨かれ、粘り強く守備する力をさらに鍛えられた。今回のアジアカップでもそのプレーが随所に見られた。遠藤のように最終ラインの前で壁になれる選手がいると、センターバックは気持ち的に余裕を持ってプレーできる。吉田や柴崎岳らは遠藤の存在の大きさを一番感じていただろう。
残念ながらイラン戦の後半、左太ももを痛めてしまい、決勝のカタール戦には出場できなかった。もし、遠藤が決勝戦に出場していれば、前半に見られた中盤の守備がスカスカになるようなことはなかっただろう。2失点目のミドルシュートの時もきっと身体を寄せていたに違いない。遠藤がいれば、と多くの人が思ったはずだが、そう思われるほど存在が大きくなっているということだ。
「遠藤、変わったなというプレーを見せていきたい」
遠藤は、大会前、そう言っていたが、今回はその姿を見せてくれた。
プレーにおいては、まだまだ伸びシロがある。また、リオ五輪の時にキャプテンを任されたように、キャプテンシーもある。本人もそういう役割を担うことに、むしろ積極的だ。
今回のアジアカップを経て、遠藤はチームにとって確かに必要な存在になった。
文●佐藤俊(スポーツライター)