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生き地獄の症状から5回の復帰。森﨑和幸の壮絶な闘病生活を支えた「最大の力」とは何だったのか?

カテゴリ:Jリーグ

中野和也

2018年12月10日

テレビを見ても笑えず、食事をしても何も感じない。子どもと接することも…。

最終節の札幌戦で今季初スタメン。城福監督は「カズのおかげで最後の最後に3バックを採用できた」と感謝した。写真:徳原隆元

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 2003年にその兆候が現れ、2006年に最初の長期離脱。そして2009年、シーズン前には「自己最高の年にしたい」と語った意気込みとは裏腹に、森﨑の状態は転落した。それはまさに、生き地獄だった。

 まず目に異常をきたした。すべてのモノがぼやけて見えた。不眠症が襲い、疲れていてもまったく眠れなくなった。食欲もなく、五感のすべてがおかしくなった。味も匂いも感じない状態。言葉が聞こえても意味が理解できず、本を読もうとしても文字が揺らぎ、書いてある意味が頭に入ってこない。人とのコミュニケーションもとれなくなり、他人と接するだけで強烈な疲労を感じた。ずっと緊張状態がとけず、心臓の鼓動も激しくなり、さらには血流が滞るから手足が冷たくなる。

 2009年5月9日、28回目の誕生日に行なわれた千葉戦を最後に、彼の姿は練習場にも試合会場でも見られなくなった。自宅療養である。当初は1週間くらいで復帰できると信じていたのに、「自分の身体がまったくコントロールできなくなった」(森﨑)。起き上がることすらできない。寝たきりの状態だ。愛弟子の病状を聞いたペトロヴィッチ監督(当時)は、クラブハウスのベランダにある椅子に座り、森﨑を想って、泣いた。涙は、止めようがなかった。

 テレビを見ても笑えず、食事をしても何も感じない。子どもと接することも、できなくなった。やがて、森﨑は自分を責めるようになった。生きることが楽しいなんて、考えることすらできなくなった。
「俺は何をやっているんだ。父親の資格すらない。そうだ、きっとサッカーを辞めれば、こんなに苦しまなくていいんだ。引退するんだ」
 
 だが、一方で彼はこんな夫婦の会話を覚えていた。
「子どもが成長した時、父親がサッカー選手なんだということが分かるまで、サッカーを続けていたい」

 その言葉が、ひとつの光となったのか。それは、分からない。だが、少なくとも森﨑は、サッカーをやめようとは言わなくなった。ただ「この時は」という限定付き。後に同じ症状が彼を襲った時、その度に引退を考えた。そしてその度に復帰した。引退を最終的に決めたのは今年、5度目の長期離脱からチームのトレーニングに戻った後、である。
 
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