苦境を逞しく打破するイメージを植え付けた12年6月のW杯予選。
あれから、4年。本田は、押しも押されもせぬ日本代表のエースとなった。あの頃とは、立場も、背負うものの大きさも違う。本田は、自分にのしかかるプレッシャーを目一杯受けて、前を向いて戦おうとしている。
10年の南アフリカ・ワールドカップ以降、本田が辿ってきた道は紆余曲折に満ちていた。11年8月、本田はCSKAモスクワでの試合中に右ひざを負傷。診断の結果、半月板の損傷であることが分かった。一度、秋にリーグ戦に復帰するも、その試合で再び違和感を覚え、再離脱。結局、スペイン・バルセロナの病院で、長く苦しいリハビリ生活を送ることを余儀なくされた。
プロ入り後、初めて経験した長期離脱。本田はここで、持ち前の強靭なメンタリティーを発揮する。
「ケガをしたことを、俺はチャンスだと捉えている。神様が、自分に成長する試練を与えてくれた。そして、必ず怪我をする前の自分よりも進化した自分で、ピッチに戻ってみせるので」
苦境に陥った時こそ、あえて強気な自分を押し出し、そして理想の姿を思い描く。そうした本田のメンタルメイクは、簡単にできるものではない。誰よりも自分に厳しく、誰よりも高い目標を掲げる。それが、この厳しいプロの世界において「タダの自分」では終わらせないためには不可欠だと、本田は考える。
そして、宣言通り、本田は華麗にピッチへと舞い戻った。12年6月のブラジル・ワールドカップ最終予選で代表戦に復帰。3連戦で4得点2アシストと、鮮烈な復活劇を成し遂げる。ゴールに向かっていくその迫力に、「有言実行」を果たした本田の意地を見たのだった。
きっと、多くのサッカーファンには、この苦境を見事に打破した本田のイメージが色濃く残っているはずだ。いくら厳しい状況に追い込まれようが、再びその強いメンタリティーで打破してくれるのではないか――。「4番」を背負ったエースには、そんな大きな期待が寄せられるようになっていく。
2013年のコンフェデレーションズ・カップの敗退、度重なる体調不良、そして、最近では今年1月に移籍したミランでの低迷、不調。この1年を振り返るだけでも、様々な逆境があった。しかし、本田は決して弱気な言動を見せることなく、自分を貫いてきた。
並の選手よりも、人一倍の苦労をしたとも言える。いや、本田は他の選手よりも高みを目指す意志が強いからこそ、その苦労が際立つのかもしれない。
10年の南アフリカ・ワールドカップ以降、本田が辿ってきた道は紆余曲折に満ちていた。11年8月、本田はCSKAモスクワでの試合中に右ひざを負傷。診断の結果、半月板の損傷であることが分かった。一度、秋にリーグ戦に復帰するも、その試合で再び違和感を覚え、再離脱。結局、スペイン・バルセロナの病院で、長く苦しいリハビリ生活を送ることを余儀なくされた。
プロ入り後、初めて経験した長期離脱。本田はここで、持ち前の強靭なメンタリティーを発揮する。
「ケガをしたことを、俺はチャンスだと捉えている。神様が、自分に成長する試練を与えてくれた。そして、必ず怪我をする前の自分よりも進化した自分で、ピッチに戻ってみせるので」
苦境に陥った時こそ、あえて強気な自分を押し出し、そして理想の姿を思い描く。そうした本田のメンタルメイクは、簡単にできるものではない。誰よりも自分に厳しく、誰よりも高い目標を掲げる。それが、この厳しいプロの世界において「タダの自分」では終わらせないためには不可欠だと、本田は考える。
そして、宣言通り、本田は華麗にピッチへと舞い戻った。12年6月のブラジル・ワールドカップ最終予選で代表戦に復帰。3連戦で4得点2アシストと、鮮烈な復活劇を成し遂げる。ゴールに向かっていくその迫力に、「有言実行」を果たした本田の意地を見たのだった。
きっと、多くのサッカーファンには、この苦境を見事に打破した本田のイメージが色濃く残っているはずだ。いくら厳しい状況に追い込まれようが、再びその強いメンタリティーで打破してくれるのではないか――。「4番」を背負ったエースには、そんな大きな期待が寄せられるようになっていく。
2013年のコンフェデレーションズ・カップの敗退、度重なる体調不良、そして、最近では今年1月に移籍したミランでの低迷、不調。この1年を振り返るだけでも、様々な逆境があった。しかし、本田は決して弱気な言動を見せることなく、自分を貫いてきた。
並の選手よりも、人一倍の苦労をしたとも言える。いや、本田は他の選手よりも高みを目指す意志が強いからこそ、その苦労が際立つのかもしれない。