2010年の誕生日から4年を経てなお、本田圭佑は「持っている」男なのか?

カテゴリ:日本代表

週刊サッカーダイジェスト編集部

2014年06月13日

苦境を逞しく打破するイメージを植え付けた12年6月のW杯予選。

2012年のW杯予選では、チームの得点源として存在感を放ち、周囲の期待を集めるようになった。 (C) SOCCER DIGEST

画像を見る

 あれから、4年。本田は、押しも押されもせぬ日本代表のエースとなった。あの頃とは、立場も、背負うものの大きさも違う。本田は、自分にのしかかるプレッシャーを目一杯受けて、前を向いて戦おうとしている。
 
 10年の南アフリカ・ワールドカップ以降、本田が辿ってきた道は紆余曲折に満ちていた。11年8月、本田はCSKAモスクワでの試合中に右ひざを負傷。診断の結果、半月板の損傷であることが分かった。一度、秋にリーグ戦に復帰するも、その試合で再び違和感を覚え、再離脱。結局、スペイン・バルセロナの病院で、長く苦しいリハビリ生活を送ることを余儀なくされた。
 
 プロ入り後、初めて経験した長期離脱。本田はここで、持ち前の強靭なメンタリティーを発揮する。
「ケガをしたことを、俺はチャンスだと捉えている。神様が、自分に成長する試練を与えてくれた。そして、必ず怪我をする前の自分よりも進化した自分で、ピッチに戻ってみせるので」
 
 苦境に陥った時こそ、あえて強気な自分を押し出し、そして理想の姿を思い描く。そうした本田のメンタルメイクは、簡単にできるものではない。誰よりも自分に厳しく、誰よりも高い目標を掲げる。それが、この厳しいプロの世界において「タダの自分」では終わらせないためには不可欠だと、本田は考える。
 
 そして、宣言通り、本田は華麗にピッチへと舞い戻った。12年6月のブラジル・ワールドカップ最終予選で代表戦に復帰。3連戦で4得点2アシストと、鮮烈な復活劇を成し遂げる。ゴールに向かっていくその迫力に、「有言実行」を果たした本田の意地を見たのだった。  
 
 きっと、多くのサッカーファンには、この苦境を見事に打破した本田のイメージが色濃く残っているはずだ。いくら厳しい状況に追い込まれようが、再びその強いメンタリティーで打破してくれるのではないか――。「4番」を背負ったエースには、そんな大きな期待が寄せられるようになっていく。
 
 2013年のコンフェデレーションズ・カップの敗退、度重なる体調不良、そして、最近では今年1月に移籍したミランでの低迷、不調。この1年を振り返るだけでも、様々な逆境があった。しかし、本田は決して弱気な言動を見せることなく、自分を貫いてきた。
 
 並の選手よりも、人一倍の苦労をしたとも言える。いや、本田は他の選手よりも高みを目指す意志が強いからこそ、その苦労が際立つのかもしれない。
 
【関連記事】
日本代表 対 ザンビア戦|週刊サッカーダイジェストの採点・寸評
日本代表 対 コスタリカ戦|週刊サッカーダイジェストの採点・寸評
【探訪ストーリー】柿谷曜一朗――再出発の地、徳島
内田篤人は4年前の失望を「払拭」できるのか?
「サプライズ」の舞台裏――大久保嘉人はなぜ再生したのか

サッカーダイジェストTV

詳細を見る

 動画をもっと見る

Facebookでコメント

サッカーダイジェストの最新号

  • 週刊サッカーダイジェスト なでしこJに続け!
    4月10日発売
    U-23日本代表
    パリ五輪最終予選
    展望&ガイド
    熾烈なバトルを総力特集
    詳細はこちら

  • ワールドサッカーダイジェスト 世界各国の超逸材を紹介!
    4月18日発売
    母国をさらなる高みに導く
    「新・黄金世代」大研究
    列強国も中小国も
    世界の才能を徹底網羅!!
    詳細はこちら

  • 高校サッカーダイジェスト 高校サッカーダイジェストVo.40
    1月12日発売
    第102回全国高校選手権
    決戦速報号
    青森山田が4度目V
    全47試合を完全レポート
    詳細はこちら

>>広告掲載のお問合せ

ページトップへ