ファンやメディアはいつまで待ってくれるか…

デンベレ(左)に1億500万ユーロ(約134億4000万円)、パウリーニョ(右)に4000万ユーロ(約51億円)をかけたバルサ。このクラブ史に残る移籍金額が、選手、クラブの双方にプレッシャーをかけている。 (C) Getty Images
ネイマールの移籍がなければ、当面はそれでも十分だった。
元々、デンベレは移籍金が1500万ユーロに過ぎなかった1年以上前から、バルサが狙っていた選手である。今夏の獲得に際しても、プロとしての実績も僅かなこの20歳を、ネイマールの喪失を忘れさせるスター選手として迎え入れる予定ではなかったはずだ。
それは、移籍期限ぎりぎりまでフィリッペ・コウチーニョ(リバプール)とアンヘル・ディ・マリア(パリ・サンジェルマン)の獲得を試みていたことからも読み取れる。
2人はいずれもスペインでのプレー経験があり、ビッグクラブや強豪国の代表チームでしか味わえない大きなプレッシャーにも耐え得るメンタリティーの持ち主であることを証明してきた選手である。
コウチーニョとディ・マリアのいずれか、あわよくば両方を、計算できる即戦力として補強し、デンベレは近い将来性に大化けする可能性がある有望株として大事に育てる――。
強化部がそんな青写真を描いていたことは、テクニカル・セクレタリーのロベルト・フェルナンデスが「あと1人、可能なら2人は補強したい」とデンベレの入団会見の席で話していたことからも想像できる。
しかし、実際には2人どころか、1人も獲ることができず――その原因がデンベレの獲得に金を払い過ぎたせいとは皮肉な話である――、デンベレは加入早々からネイマールなきバルサの新シーズンの希望を、一身に背負うことになってしまった。
本人には気の毒なことながら、1億ユーロ以上の移籍金を要した選手なだけに、周囲に期待するなと言うのも無理な話である。
クラブ史上最も金のかかった新戦力には、ファンもメディアも必ず、それ相応の見返りを求めてくる。問題は彼らがいつまで、その“返済”を待ってくれるかだが、こればっかりは何とも言えない。
将来性豊かな若者の才能が、周囲から受けるプレッシャーに押し潰され、史上最悪の失敗補強としてクラブ史の汚点とならないことを願うばかりだ。
文:工藤 拓
【著者プロフィール】
1980年、東京都生まれ。桐光学園高、早稲田大学文学部卒。三浦知良に憧れて幼稚園からボールを蹴りはじめ、TVで欧州サッカー観戦三昧の日々を送った大学時代からフットボールライターを志す。その後EURO2004、W杯ドイツ大会の現地観戦を経て、2006年よりバルセロナへ移住。現在は様々な媒体に執筆している。
元々、デンベレは移籍金が1500万ユーロに過ぎなかった1年以上前から、バルサが狙っていた選手である。今夏の獲得に際しても、プロとしての実績も僅かなこの20歳を、ネイマールの喪失を忘れさせるスター選手として迎え入れる予定ではなかったはずだ。
それは、移籍期限ぎりぎりまでフィリッペ・コウチーニョ(リバプール)とアンヘル・ディ・マリア(パリ・サンジェルマン)の獲得を試みていたことからも読み取れる。
2人はいずれもスペインでのプレー経験があり、ビッグクラブや強豪国の代表チームでしか味わえない大きなプレッシャーにも耐え得るメンタリティーの持ち主であることを証明してきた選手である。
コウチーニョとディ・マリアのいずれか、あわよくば両方を、計算できる即戦力として補強し、デンベレは近い将来性に大化けする可能性がある有望株として大事に育てる――。
強化部がそんな青写真を描いていたことは、テクニカル・セクレタリーのロベルト・フェルナンデスが「あと1人、可能なら2人は補強したい」とデンベレの入団会見の席で話していたことからも想像できる。
しかし、実際には2人どころか、1人も獲ることができず――その原因がデンベレの獲得に金を払い過ぎたせいとは皮肉な話である――、デンベレは加入早々からネイマールなきバルサの新シーズンの希望を、一身に背負うことになってしまった。
本人には気の毒なことながら、1億ユーロ以上の移籍金を要した選手なだけに、周囲に期待するなと言うのも無理な話である。
クラブ史上最も金のかかった新戦力には、ファンもメディアも必ず、それ相応の見返りを求めてくる。問題は彼らがいつまで、その“返済”を待ってくれるかだが、こればっかりは何とも言えない。
将来性豊かな若者の才能が、周囲から受けるプレッシャーに押し潰され、史上最悪の失敗補強としてクラブ史の汚点とならないことを願うばかりだ。
文:工藤 拓
【著者プロフィール】
1980年、東京都生まれ。桐光学園高、早稲田大学文学部卒。三浦知良に憧れて幼稚園からボールを蹴りはじめ、TVで欧州サッカー観戦三昧の日々を送った大学時代からフットボールライターを志す。その後EURO2004、W杯ドイツ大会の現地観戦を経て、2006年よりバルセロナへ移住。現在は様々な媒体に執筆している。