21世紀に入ってもミランの猛威は続き、2002-03シーズンにはユベントスとのPK戦にもつれ込む激闘を制してCLを制し、07年にも優勝。05年に悪夢の逆転負けを喫しリバプールに雪辱を果たしたこの勝利が、パオロにとって通算5度目、そして最後の欧州制覇となった。
同年、日本でのクラブワールドカップで浦和レッズ、ボカを下し、自身3度目の世界一を達成。栄光に満ちたパオロのタイトル歴は、横浜の夜で締め括られた。
このように、栄華を誇ったミランとともにあった彼のキャリアだが、もうひとつの歩みを忘れてはならない。イタリア代表としてのキャリアだ。
A代表に招集される前には、U-21代表で12試合に出場したパオロ。この時の監督は父チェーザレであり、当時のことを「やりにくかった」と息子は振り返っている。偉大な二世はこの頃、「チェーザレの息子」という肩書に苦しんでいたのである。
86年には当時のA代表監督だったベアルツォットがパオロに目を付け、86年メキシコW杯での招集も考えたというが、それは見送られ、88年3月31日、スプリトでのユーゴスラビア(当時)戦で代表初キャップは刻まれた。
ここから4度のW杯、3度のEUROに出場したが、パオロはいずれの大会においても、あと一歩のところでタイトルを取り逃がした。
地元開催の90年W杯では、準決勝でディエゴ・マラドーナのアルゼンチンに野望を打ち砕かれ、94年は決勝でブラジルの前に力尽きた。親子二人三脚(父は監督で息子は主将)で臨んだ98年大会の準々決勝フランス戦を含め、これら3つの敗北が、いずれもPK戦による決着だったことが、余計にパオロを悔しがらせた。
最後のチャンスだった02日韓大会では、決勝トーナメント1回戦で疑惑の判定に苦しめられた挙句、自身が韓国のアン・ジョンファンに競り負けて決勝ゴールを決められるという悔いの残るかたちで、パオロのW杯へのチャレンジは終了した。
EUROでも「アッズーリ」を、そしてパオロを待っていたのは残酷な結末だった。準決勝でソ連(当時)に完敗を喫したものの、未来への希望を感じさせた88年大会はともかく、92年大会は予選敗退、そして96年はチェコを見くびって足元をすくわれたのが響き、グループステージでの帰国を余儀なくされた。
そして最後の大会となった00年大会、好チームで臨んだイタリアは、難敵を次々に撃破してフランスとの決勝へ進出。後半に先制点も奪い、思い通りの展開でアディショナルタイムに突入するも、ここで同点ゴールを許し、力尽きた延長戦で決勝ゴールを奪われる……。
まさに悪夢のようなかたちでタイトルを逃したアッズーリとパオロ。126試合出場(7得点)という新記録(後にファビオ・カンナバーロ、ジャンルイジ・ブッフォンが更新)を作った彼だが、ついに代表では栄光と無縁のまま、前述の02年の韓国戦を最後に、そのキャリアに幕を閉じた。
一方、ミランでは、その後もチームの核としてプレーし続け、こちらでは前述の通り、数々のタイトルに恵まれた。そして08-09シーズン、40歳で愛する赤と黒のユニホームに別れを告げたのである。
引退後は、北米サッカーリーグのマイアミFCの共同オーナーを務めたり、プロテニスプレーヤーとしてデビューしたりと、今なお挑戦することをパオロは止めていない。また、サッカーの道を歩む2人の息子の成長という楽しみも、彼にはある。
誰もが認めるミランのレジェンドでありながら、一方でキャリアの晩年にはフロント、サポーターと対立したパオロは、残念ながら現在はミランと距離を置いているが、この先、彼が再び愛するクラブのために活躍することを、誰もが待ち望んでいる。
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