レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第23回・デル・ピエロ(元イタリア代表)

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サッカーダイジェストWeb編集部

2017年06月01日

ユベントスでは栄光と苦難のキャリアを経て崇められる存在に

キャリアの序盤はテクニックで人々を魅了したが、ユベントスの鬼コーチ、ヴェントローネとの二人三脚で筋力アップし、屈強なDFのプレッシャーにも耐え得る強靭な体躯と精神力を得た(その変化が疑惑を招いたのは皮肉だったが……)。デル・ピエロとは、才能と努力の天才だった。 (C) Getty Images

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 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。
 
 さて今回、サッカーダイジェストWebに登場するのは、ユベントスのシンボルとして幾つもの伝説を創り上げ、イタリア・サッカーの栄光の歴史にその名を刻んだ稀代のファンタジスタ、アレッサンドロ・デル・ピエロだ。
 
 優れた技術と得意のパターンから印象的なゴールを量産してチームにタイトルをもたらしただけでなく、その不屈の精神力で幾多の苦難を乗り切るなど、選手としてだけでなく、人間としても大きな魅力を振りまいた偉大なる男の軌跡を、ここで振り返ってみよう。
 
――◇――◇――
 
 1974年11月9日、ヴェネト州コネリアーノのサン・ヴェンデミアーノという田舎町で、アレッサンドロ・デル・ピエロは生まれ、多くのイタリアの子どもと同様、幼い頃からサッカーに興じた。
 
 10歳上の彼の兄、ステファノは82年から2年間、MFとしてサンプドリアでプレーしたサッカー選手だが、彼は早い段階から弟の才能を見抜き、常に温かく見守りながら、時に的確なアドバイスを送って成長を促した。
 
 そんな環境の下で技術を高めたデル・ピエロは、早々に多くの大人から注目を集める存在となり、13歳の時にパドバにスカウトされ、実家を離れることとなる。そして91-92シーズンの時、17歳でデビューを飾ることになるが、その間もしっかり勉学に励み、会計士の資格を取得している。
 
 当時セリエBのパドバでは1年目に4試合出場、2年目は10試合出場1得点の記録を残す。そしてパドバの上層部はユベントスと接触し、50億リラの移籍金でこの少年をトリノに送り出すことを決めた。
 
 93年、デル・ピエロは、子どもの頃からの憧れのクラブだったユベントスの一員となった。華麗なボール捌きで決定的な仕事を果たすミシェル・プラティニのプレーに酔いしれていた田舎の天才少年は、後にプラティニに次いで、欧州制覇を果たす2人目のユベントスの10番となるのである。
 
 93年9月12日のフォッジャ戦、残り16分のところで途中出場を果たして名門クラブでのデビューを飾り、次のレッジャーナ戦で初ゴール。交代出場してからわずか1分後のことだった。その日は、両親の結婚記念日でもあり、デル・ピエロ家にとって忘れられない1日となった。
 
 2年目の94-95シーズンは、彼にとっても、ユベントスにとっても重要な1年となった。94年12月4日のフィオレンティーナ戦、後方からの浮き球のパスを左足のボレーで合わせ、名GKフランチェスコ・トルドの頭上を破ったスーパーゴールは、デル・ピエロを一躍スターの座に押し上げた。
 
 そしてこのゴールで勝利を奪ったユベントスは調子を上げ、実に8年ぶりのセリエA制覇を果たす。そしてシーズン後、クラブの首脳陣はそれまでのエースだったロベルト・バッジョを放出し、デル・ピエロを新たなチームの核とすることを決めたのである。
 
 95-96シーズンにチャンピオンズ・リーグ優勝に貢献し、96年冬にはトヨタカップのために初来日。リーベルとの息詰まる一戦、81分に角度のないところから鋭いシュートをゴールに突き刺して決勝点を挙げ、MVPにも選出された。
 
 96年から2シーズン連続でのスクデット獲得に貢献し、97-98シーズンには21得点を挙げるなど好調を維持していたが、一方でCL決勝は2シーズン連続で敗北。96-97シーズンの決勝(ドルトムント戦)では「それでも最高の1年だった」と胸を張ったものの、翌シーズンの敗北は彼に大きな失望を与えた。
 
 そしてキャリア最大の苦難に見舞われたのが98-99シーズン。最初の災難は、当時のローマ監督だったズデネク・ゼーマンの発言により、薬物使用の疑惑をかけられたことだ。必死のトレーニングで強靭な肉体を手に入れたデル・ピエロは、これに傷付き、そして憤った。
 
 もうひとつの災難は、98年11月8日のウディネーゼ戦で左膝靭帯に重大な損傷。これにより、彼の98-99シーズンは8試合出場2得点で終了することとなった。
 
 ここから先、しばらくはデル・ピエロにとって喜びよりも苛立ちや悲しみのほうが多かったかもしれない。99-00シーズンには「審判の擁護を受けている」とユベントスへの風当たりが強くなるなかで、最終節にペルージャ戦を落として、ラツィオに逆転優勝を許してしまう。
 
 02-03シーズンは自身4度目となるCL決勝進出を果たすも、オールド・トラフォード(イングランド・マンチェスター)でのミラン戦、PK戦の末にまたしても敗れてしまった。
 
 そして06年、カルチョを震撼させた八百長スキャンダル「カルチョポリ」により、04年からの2つのスクデットを剥奪された挙句、06-07シーズンはクラブ史上初のセリエBでのプレーを余儀なくされたのである。
 
 この時には、監督のファビオ・カペッロをはじめ、多くの主力選手がユベントスを去って行ったが、デル・ピエロは真っ先に残留を表明。この行動により、彼はユベンティーノに崇められる存在となった。
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