日本代表、井手口陽介のルーツを辿る~その才能はいかにして磨かれたのか(前編)

カテゴリ:日本代表

高村美砂

2017年09月03日

サッカー以上に面白いと思うものは何もなかった

長男の正昭(右)、次男の稔(左)がプレーしていたのを見て育ち、ごく自然にボールを蹴り始めた 写真提供:井手口亜紀子

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 地元・福岡で、サッカーをしていた8歳上と5歳上のふたりの兄のプレーを見て育ったからだろう。物心がついた頃には、ごく自然にボールを蹴っていた。
 
 当時は「ただただボールを蹴るのが楽しかった」(井手口)ようで、母・亜紀子によれば、ふたりの兄に習うというより、兄のプレーを見て、自分がやりたいことを好きなようにやっていたという。

「小さな頃から活発で、ニコニコとよく笑う優しい子でした。陽介を買い物に連れて出掛けると、自分の分だけではなく、必ずふたりのお兄ちゃんのお菓子も選んでいましたしね。普段はそこまで主張しないのに、自分が『やりたい』と思ったことには気持ちを表に出して、そこに向かっていくようなところがありました。間違いなく彼にとってのサッカーは、何にも勝る『やりたいこと』だったと思います」

 サッカーに対する欲は、兄たちとは比べものにならないくらい強かった。彼が小学1年生の時には日本で初めてワールドカップ(2002年の日韓大会)が開催されたが、ブラジル代表FWロナウドの大ファンだった井手口は、テレビに噛り付いて試合を観戦したという。しかも、それだけでは飽き足らず、ブラジル戦は必ず録画し、気に入ったシーンを何度も巻き戻してチェックする熱の入れようだった。

「毎日、日が暮れるまで外でボールを蹴って、家に帰るとひたすらサッカーのビデオを観ていました。ふたりの兄がサッカー以外のことに興味を惹かれるようになっても、陽介はサッカーだけでしたね。だから、兄弟の中でもボール扱いは一番巧かった。できないことは必ずできるようになるまでチャレンジしたし、身体の大きなお兄ちゃんたちを相手にしてもまったく怖がらず、むしろ思い切りぶつかっていって、自分がどのくらいできるのかを試しているようなところがありました」(亜紀子)

 小学4年生になると、「チームでサッカーをしたほうが、試合もできるし楽しいよ」という母の勧めで、中央FCに加入(5年生の時にチーム名がストリートSCに変更)。ここで2年間プレーしたが、6年生になると、より技術練習に力を入れていた油山カメリアーズへ。すると、サッカーの楽しさが倍増した。

 井手口は言う。
 
「それまでは、ただ楽しいという感覚でしたが、カメリアーズに所属して、足もとの技術について教わることが多くなってからは、自分にできることだけじゃなく、できないことも増えて、楽しさの種類が変わっていったんです。練習時間もめっちゃ増えましたね。当時は週に5日、チームの練習があったんですけど、休みの2日間はもちろん、学校の休み時間もひたすらサッカーをしていました。周りの友だちもサッカー好きが多かったから、とにかくサッカー、サッカーで、サッカー以上に面白いと思うものはありませんでした」 
 

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