寝ても覚めても、見上げればそこに日章旗。
その少し前、父・武義は、大志を抱く保仁の思いを知った松澤に、面白い提案をされている。
兄弟3人、一緒に過ごしていた大部屋は保仁の独占状態となっていたのだが、その天井に、日の丸を貼ろうというものだった。寝ても覚めても、見上げればそこに日章旗。いずれはJリーグ、日本代表、そして世界の舞台へ。「彼にはそれくらいの期待をかけていい」と太鼓判を押してもらった。
父はマジックで白い部分に「めざせ日本代表!! U-20、シドニー五輪、ワールドカップ」と激励のメッセージを書き記し、「お父さんより」と小さく添えた。今では遠藤記念館のごとく彩られているその部屋だが、天井には燦然と、日の丸が輝いている。
まさかそのすべてが叶うとは思ってもいなかったと、父が明かす。
「プロになってからもゆっくり着実に成長していきました。フリューゲルスの消滅や京都での降格もあって、シドニーでは試合に出れなかった。それでも気丈に足元を見ていましたよね。ガンバという最高のチームに移籍できたのは、ヤットにとっては大きかったと思います。ドイツ(ワールドカップ)ですか? 残念でした。ひとりだけ出れなかったんですからね。悔しかったけど、楽しみは先に取っておきますよ」
桜島で育った18年間。兄たちの背を見ながら、心の底からサッカーを愛し、常に楽しくも悩み、考え、独自のスタイルを深めていった。
その探求心は衰えることを知らず、保仁自身、「特徴がないのが俺の特徴。だからどんな選手と組んでも楽しくやれるし、時に合わせたり、時に使ったり使われたり、まだまだ伸びていける気がしてる」と語る。
いまだ進化を続ける27歳。この天性のプレーメーカーがキャリアのピークを迎えるのは、はたしていつになるのだろうか。
<了>
取材・文:川原崇(サッカーダイジェスト)
【PHOTO】厳選フォトで振り返る1999ワールドユース「銀色の進撃」
兄弟3人、一緒に過ごしていた大部屋は保仁の独占状態となっていたのだが、その天井に、日の丸を貼ろうというものだった。寝ても覚めても、見上げればそこに日章旗。いずれはJリーグ、日本代表、そして世界の舞台へ。「彼にはそれくらいの期待をかけていい」と太鼓判を押してもらった。
父はマジックで白い部分に「めざせ日本代表!! U-20、シドニー五輪、ワールドカップ」と激励のメッセージを書き記し、「お父さんより」と小さく添えた。今では遠藤記念館のごとく彩られているその部屋だが、天井には燦然と、日の丸が輝いている。
まさかそのすべてが叶うとは思ってもいなかったと、父が明かす。
「プロになってからもゆっくり着実に成長していきました。フリューゲルスの消滅や京都での降格もあって、シドニーでは試合に出れなかった。それでも気丈に足元を見ていましたよね。ガンバという最高のチームに移籍できたのは、ヤットにとっては大きかったと思います。ドイツ(ワールドカップ)ですか? 残念でした。ひとりだけ出れなかったんですからね。悔しかったけど、楽しみは先に取っておきますよ」
桜島で育った18年間。兄たちの背を見ながら、心の底からサッカーを愛し、常に楽しくも悩み、考え、独自のスタイルを深めていった。
その探求心は衰えることを知らず、保仁自身、「特徴がないのが俺の特徴。だからどんな選手と組んでも楽しくやれるし、時に合わせたり、時に使ったり使われたり、まだまだ伸びていける気がしてる」と語る。
いまだ進化を続ける27歳。この天性のプレーメーカーがキャリアのピークを迎えるのは、はたしていつになるのだろうか。
<了>
取材・文:川原崇(サッカーダイジェスト)
【PHOTO】厳選フォトで振り返る1999ワールドユース「銀色の進撃」