フランスを追われてドーバー海峡を渡ったカントナだが、イングランドの水は彼に合ったようだ。92年春のリーズに合流すると、優れたアシスト能力を発揮して、いきなりリーグ王者の称号をチームにもたらしたのだった。
しかし、リーズでの生活は短かった。92年11月、当時、優れたFWを欲しがっていたアレックス・ファーガソン監督の希望により、マンチェスター・ユナイテッドへの加入が決まったのである。
歴史的なプレミアリーグ創設1年目のシーズン、カントナは同年12月にマンチェスター・Uでのデビューを飾り、22試合出場9得点を記録。チームは快進撃を続けて首位でゴールテープを切り、初代王者の栄誉を手に入れた。
固定背番号制が導入され、栄光の7番を背負うこととなった93-94シーズンは、リーグ連覇に加え、FAカップの優勝にも貢献。翌シーズンも好調を維持したが、95年1月25日のクリスタルパレス戦で、かの有名な「カンフーキック」事件を起こしてしまう。
スタンドのファンの野次に怒り、飛び蹴りを食らわしたことで、8か月の出場停止と3万ポンドの罰金という処分を受けたカントナだが、後に彼は「楽しい思い出は幾つもあるが、一番を選べというなら、フーリガンを蹴ったことだ」と語っている。
10月に出場停止処分は解けた時、マンチェスター・Uはニューカッスルの首位独走を許しており、一時は勝点差で10まで引き離されたものの、1月に入ってカントナが原動力となって白星を積み重ねると、3月に首位を奪回。そのまま逃げ切り、2年ぶりにリーグを制した。
プレミア4シーズンで3度、リーズ時代を加えれば、4度のリーグ優勝を果たしたカントナは96-97シーズン、イングランドに来てからは最多となる36試合に出場してまたもリーグ制覇に貢献。しかし、これが彼にとっては、選手として最後のタイトルとなった。
シーズン終盤、突然、「今シーズン限りで現役を引退する」と発表したカントナ。92年に加入してマンチェスター・Uに多くの勝利とタイトルをもたらした彼は、同時にデイビッド・ベッカム、ポール・スコールズら若い選手に多大な影響を与えた後、潔く、颯爽と去って行った。
マンチェスター・Uでも彼は、前述の「カンフーキック」他、多くのトラブルを起こしたが、選手としての彼は、名伯楽ファーガソンをして「プロの鑑」と言わしめるほどストイックであり、チームメイトは彼を尊敬し、ファンは彼のパフォーマンスの全てを愛し、心から楽しんだ。
「いつも子どもの心を忘れることはなかった。そんな自分のことを、多くの人が異常だと言ったが、私はそう呼ばれることを誇りに感じている」
自分に正直に生きた彼は、母国フランスにとってはどのクラブも、またどんな指揮官も持て余す存在だったが、イングランドでは受け入れられ、彼もこの国を愛するようになった。
代表チームでは88年にU-21欧州選手権で優勝を果たしたが、A代表では唯一本大会に出場したEURO92ではあえなく早期敗退、94年アメリカ・ワールドカップ予選のブルガリアとの最終戦では、終了間際の失点で出場権を失うという悪夢をピッチ上で味わった。
前述の「カンフーキック」によって代表キャリアが終了したカントナ。後にフランスが自国開催の98年W杯、EURO2000を連続で制して黄金時代に突入したことは、喜びよりも苦い思いを彼に与えたという。
引退後は、ビーチサッカーで代表選手として活躍した他、独特の雰囲気を醸す俳優としても活動中。サッカー界に対してはしばしば、彼らしい歯に衣着せぬ物言いでメッセージを送り続けている。現役時代のニックネーム「キング」は、今でも彼には相応しい。
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