「我々の訪日を強く望んでくれていると知り感激している」。
沢田氏:クラブ史上初めて挑むコパ・リベルタドーレスを含めて、2017年シーズンは7つの公式大会に参加する予定ですが、こなせるでしょうか?
プリニオ会長:当面は2チームを編成して対応していく。ただ、いずれは一つに収斂して重要な大会に臨むつもりだ。
沢田氏:2017年シーズンの具体的な目標をお聞かせください。
プリニオ会長:全国リーグで10位以内に入り、コパ・リベルタドーレスで1次リーグを突破する。そして州リーグで優勝したい。
沢田氏:事故後、複数の国内有力クラブから「今後3年間、シャペコエンセは成績にかかわらず全国リーグ1部に残留させたらどうか」という提案の声が上がりましたが、あなたがたはそれを拒否しました。その真意は?
プリニオ会長:ライバルクラブからの気遣いは、涙が出るほど嬉しかった。しかし、そのような特別措置はブラジル・サッカーのためにならないし、我々のためにもならない。あくまでも公正に戦いたいと考えた。
沢田氏:周りは昨年と今年のチームを、どうしても比較してしまいます。
プリニオ会長:昨年のチームが成し遂げた偉業は、クラブの歴史に永遠に残る。我々が目を向けなければならないのは、これからだ。また新たな歴史を作らなければならない。監督も選手もそのことを理解し、死力を尽くしてくれている。
沢田氏:8月に日本で行なわれるスルガ銀行カップへの出場を辞退する意向が一部メディアで伝えられ、来日を願う日本のファンが心配しています。
プリニオ会長:最大の問題は過密日程だ。昨年の飛行機事故の際に連帯感を示してくれたアトレティコ・ナシオナル(コロンビア)に、感謝の意を込めて出場権を譲りたい気持ちもある。いずれにしても、まだ最終的な結論には至っていない。南米サッカー連盟とも話をしていない。日本のファンが我々の訪日を強く望んでくれていることを知り、とても感激している。今後、クラブ内でじっくり検討して結論を出したい。
インタビュー:沢田啓明
※ワールドサッカーダイジェスト2017.03.16号より加筆・修正
【インタビュアー・プロフィール】
さわだ・ひろあき/1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。事故以降のシャペコエンセを追い続け、『ワールドサッカーダイジェスト』でも「シャペコエンセ 復興への軌跡」を連載している。1955年、山口県出身。
プリニオ会長:当面は2チームを編成して対応していく。ただ、いずれは一つに収斂して重要な大会に臨むつもりだ。
沢田氏:2017年シーズンの具体的な目標をお聞かせください。
プリニオ会長:全国リーグで10位以内に入り、コパ・リベルタドーレスで1次リーグを突破する。そして州リーグで優勝したい。
沢田氏:事故後、複数の国内有力クラブから「今後3年間、シャペコエンセは成績にかかわらず全国リーグ1部に残留させたらどうか」という提案の声が上がりましたが、あなたがたはそれを拒否しました。その真意は?
プリニオ会長:ライバルクラブからの気遣いは、涙が出るほど嬉しかった。しかし、そのような特別措置はブラジル・サッカーのためにならないし、我々のためにもならない。あくまでも公正に戦いたいと考えた。
沢田氏:周りは昨年と今年のチームを、どうしても比較してしまいます。
プリニオ会長:昨年のチームが成し遂げた偉業は、クラブの歴史に永遠に残る。我々が目を向けなければならないのは、これからだ。また新たな歴史を作らなければならない。監督も選手もそのことを理解し、死力を尽くしてくれている。
沢田氏:8月に日本で行なわれるスルガ銀行カップへの出場を辞退する意向が一部メディアで伝えられ、来日を願う日本のファンが心配しています。
プリニオ会長:最大の問題は過密日程だ。昨年の飛行機事故の際に連帯感を示してくれたアトレティコ・ナシオナル(コロンビア)に、感謝の意を込めて出場権を譲りたい気持ちもある。いずれにしても、まだ最終的な結論には至っていない。南米サッカー連盟とも話をしていない。日本のファンが我々の訪日を強く望んでくれていることを知り、とても感激している。今後、クラブ内でじっくり検討して結論を出したい。
インタビュー:沢田啓明
※ワールドサッカーダイジェスト2017.03.16号より加筆・修正
【インタビュアー・プロフィール】
さわだ・ひろあき/1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。事故以降のシャペコエンセを追い続け、『ワールドサッカーダイジェスト』でも「シャペコエンセ 復興への軌跡」を連載している。1955年、山口県出身。