前述の通り、サッカーを本格的に始めたのが遅かったことから、ユース代表のキャリアはない彼が、最初に水色と白の縦縞ユニホームの袖に腕を通したのは、1991年。ボカでの活躍が認められ、ブラジル戦でデビューを飾ると、直後のコパ・アメリカの出場メンバーにも名を連ねた。
ここで彼は6ゴールを挙げて大会得点王に輝き、母国の優勝に貢献。アルゼンチン代表に新たなスターが誕生したとして世界中にバティストゥータの存在は知られ、それが後の欧州行きに繋がった。
フィオレンティーナでセリエB降格という大きな失望を味わった直後の93年コパ・アメリカでも3ゴールを記録。メキシコとの決勝(2-1)では全得点を挙げて大会連覇を達成した。ちなみに現時点ではこれが、アルゼンチン代表の最後のタイトルである。
大陸王座を防衛した彼は翌年、アメリカで初のW杯に出場。各ポジションに能力の高い選手を擁し、さらにそこにスーパースター、ディエゴ・マラドーナを加えたチームは優勝候補の一角であり、実際にグループステージではギリシャ、ナイジェリアに快勝を収めた。
バティストゥータはギリシャ戦で2ゴールを挙げるなど幸先は良かったが、2戦目の終了後にマラドーナがドーピング検査で陽性を示したことで大会追放となると、チーム力は低下。それに伴ってバティストゥータも沈黙し、彼の最初の世界の舞台は決勝トーナメント1回戦で終わった。
それから4年後、フランスW杯でアルゼンチンは初戦で日本と対戦。奮闘する初出場国に世界の厳しさを教えたのは、一瞬の隙を見逃さないバティストゥータだった。彼はその後、ギリシャ戦でハットトリックを達成し、決勝トーナメント1回戦の大一番、イングランド戦でも1ゴールを挙げた。
しかし、準々決勝のオランダ戦ではノーゴール。チームは終了間際に決勝ゴールを許して、フランスを去ることとなった。
バティストゥータにとって最後のW杯となったのは02年日韓大会だ。アルゼンチンは優勝候補の筆頭にも挙げられ、初戦のナイジェリア戦では彼の決勝弾で白星発進に成功したが、続くイングランドに敗れ、勝利が必要なスウェーデン戦を引き分けたことで、よもやの早期敗退となった。
最後のチャンスと意気込んで臨んだバティストゥータを待っていた悪夢の結末。33歳の彼は、この大会をもって代表チームからの引退を発表した。出場77試合で記録した54得点は、06年にリオネル・メッシに更新されるまで、アルゼンチンの最多記録だった(現在2位)。
クラブレベルに話を戻すと、01年にローマで悲願を成就させた後、彼は02-03シーズンの途中にインテルへレンタル移籍。ここで半年プレーし、シーズン終了後、12年間を過ごしたイタリアを去り、中東カタールのアル・アラビに加わった。
ここでも初年度に25ゴールを挙げて得点王に輝くなど、ピークを過ぎてもなお得点力の高さを示したバティストゥータは、05年3月に現役選手としてのキャリアに終止符を打つことを決意したのだった。
引退してもなお、くるぶしの痛みに苛まれ、一時は歩行が困難になるほどだったという彼は、ここまで表立ってサッカー界で活動はしていないが、現役時代に酷使した身体を労わりながら、ビジネスに従事したり、多彩な趣味を楽しんだりと、充実した日々を過ごしている。
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