シュートを決めるかどうかもテクニックとして考える必要がある。
浦和レッズのミハイロ・ペトロビッチ監督は、「日本は結果至上主義に偏り過ぎている」と指摘するが、総じて日本全体の流れは、テクニックを重用して組み立ての美しさを好む“プロセス優先型”に傾いている。
よく日本人にはエゴ(自己主張)が足りないと言われる。長く韓国代表FWとして活躍し、セレッソ大阪や柏レイソルでもプレーしたファン・ソンホン氏は、「日本の子供たちがミッドフィルダーばかりに憧れるのが不思議で仕方ない」という。
「韓国ではストライカーが断然人気があります。自分で試合を決められますからね」
ただしストライカーにとって、エゴは絶対条件ではない。それは先日、トーマス・シャーフ氏(ブレーメンなどを率いたドイツ人指導者)の話を聞いて腑に落ちた。
「エゴとストライカーの適性を関連付けて考えようとするのは分かる。しかし、エゴイスティックなのと、しっかりとゴールへ繋がる道筋を選択することは違う。肝心なのはバランスだ。エゴイスティックにプレーしても決められないことがあるし、それでもっと良いポジションにいる選手を探せずに、チームにとって大きなマイナスをもたらすこともある。結局、ストライカーにとって最も大切なのは、正しいタイミングで正しい選択をすることなんだ」
さらに、日本代表の左SBとして長く活躍した都並敏史氏もこう語る。
「要するに、シュートを決めるかどうかもテクニックとして考える必要があると思いますよ。メンタルじゃない」
正しいタイミングで正しい判断を下し、的確な技術を発揮する。つまりそれが、ストライカーの成すべき仕事なのだろう。仕掛ける、そしてシュートを決めるための確かなテクニックがあれば、自信も生まれ、決断力に優れた突破も、冷徹な判断もできる。
実際、日本にも、良いサンプルは育ちつつある。例えば、久保建英(FC東京U-18/15歳)はテクニック、スピード、判断という確固たる土台があるから、年上のカテゴリーの試合に出てもゴールを決める。女子でも植木理子(日テレ・メニーナ/17歳)や田中美南(日テレ・ベレーザ/22歳)らは、身体能力とテクニックをバランス良く備え、大胆な打開策を示している。
ストライカーには、独特の感性や資質、メンタリティーなども必要なのかもしれない。だがその土台を成すのは、技術と判断というフットボーラーとして当たり前の命題なのだ。
文:加部 究(スポーツライター)
よく日本人にはエゴ(自己主張)が足りないと言われる。長く韓国代表FWとして活躍し、セレッソ大阪や柏レイソルでもプレーしたファン・ソンホン氏は、「日本の子供たちがミッドフィルダーばかりに憧れるのが不思議で仕方ない」という。
「韓国ではストライカーが断然人気があります。自分で試合を決められますからね」
ただしストライカーにとって、エゴは絶対条件ではない。それは先日、トーマス・シャーフ氏(ブレーメンなどを率いたドイツ人指導者)の話を聞いて腑に落ちた。
「エゴとストライカーの適性を関連付けて考えようとするのは分かる。しかし、エゴイスティックなのと、しっかりとゴールへ繋がる道筋を選択することは違う。肝心なのはバランスだ。エゴイスティックにプレーしても決められないことがあるし、それでもっと良いポジションにいる選手を探せずに、チームにとって大きなマイナスをもたらすこともある。結局、ストライカーにとって最も大切なのは、正しいタイミングで正しい選択をすることなんだ」
さらに、日本代表の左SBとして長く活躍した都並敏史氏もこう語る。
「要するに、シュートを決めるかどうかもテクニックとして考える必要があると思いますよ。メンタルじゃない」
正しいタイミングで正しい判断を下し、的確な技術を発揮する。つまりそれが、ストライカーの成すべき仕事なのだろう。仕掛ける、そしてシュートを決めるための確かなテクニックがあれば、自信も生まれ、決断力に優れた突破も、冷徹な判断もできる。
実際、日本にも、良いサンプルは育ちつつある。例えば、久保建英(FC東京U-18/15歳)はテクニック、スピード、判断という確固たる土台があるから、年上のカテゴリーの試合に出てもゴールを決める。女子でも植木理子(日テレ・メニーナ/17歳)や田中美南(日テレ・ベレーザ/22歳)らは、身体能力とテクニックをバランス良く備え、大胆な打開策を示している。
ストライカーには、独特の感性や資質、メンタリティーなども必要なのかもしれない。だがその土台を成すのは、技術と判断というフットボーラーとして当たり前の命題なのだ。
文:加部 究(スポーツライター)