1981年9月1日のスイス戦でオランダ代表デビューを果たしたライカールトは、最終ラインか中盤の下がり目に位置してプレーしたが、時折、貴重なゴールを挙げたりするなど、オールマイティーぶりをここでも発揮し続けた。
80年代に入り、オランダ・サッカーは低迷期を迎えており、EURO84、86年メキシコ・ワールドカップと予選敗退を喫するも、EURO88予選では名将リヌス・ミケルスの下で勝利を重ね、4大会ぶりのメジャーイベント出場を果たす。
88年はオランダ・サッカーの復活を示す年となり、クラブレベルではPSVが初の欧州制覇を達成。そしてEURO88では、オレンジ軍団が悲願の初タイトルを獲得した。ロナルド・クーマンとともに最終ラインを締めたライカールトの貢献ぶりは、フリット、ファン・バステンのそれに全く劣らない。
欧州王者になったオランダは、当然ながら2年後のイタリアW杯で優勝候補に挙げられたが、チームは監督問題など数々の問題を抱え、最悪の状態で大会を迎える。グループステージ3試合を引き分け、抽選によって3位通過を果たすも、決勝トーナメントでは1回戦で西ドイツの軍門に降った。
ライカールトはこの試合、西ドイツのルディ・フェラーと諍いを起こし、ともに2度の警告を受けて退場。その際、フェラーの後頭部に唾を吐きかけるという暴挙に出る。普段は冷静で礼儀正しい青年が、W杯の独特な空気とチームの不調で、その精神状態を狂わせてしまった……。
その後、EURO92、94年アメリカW杯にも出場したライカールトだが、前者は優勝を期待されながらも準決勝でデンマークにPK戦で敗れ、最後のビッグイベントとなった94年はベスト8止まり。準々決勝ブラジル戦では、彼のパスがカットされ、ロマーリオの先制点に結び付けられた。
選手としては73試合10得点という数字を残し、94年で代表でのキャリアを終えたライカールトは、95年の現役引退から3年後、監督としてのキャリアを代表チームで始めることとなる。
いきなりの指揮官就任は批判も集めたが、自国開催のEURO2000で彼は強力な集団を形成。準々決勝でユーゴスラビアを圧倒して6-1の勝利を挙げると、優勝候補筆頭にも挙げられたが、準決勝でイタリアの驚異的な粘りの前に屈し(PK戦敗退)、直後にライカールトは辞任を発表した。
その翌年、母国のスパルタでクラブを初めて率いるも結果を残せず、2部へ降格。そして03年6月、クライフの推薦もあって、名門バルセロナの監督に就任した。
この時期、バルサは低迷期にあったが、ライカールトは立て直しに成功する。2シーズン目には補強も成功し、ロナウジーニョら主力が存分に力を発揮したことで、スペクタクルなサッカーを披露しながら、リーガ・エスパニョーラ優勝を果たした。
翌シーズンには、リーガ連覇を果たすとともに、CLでもアーセナルを決勝で下し、91-92シーズン以来2度目の欧州制覇を達成。選手としても、監督としても同タイトルを獲得する偉業を成し遂げた。
しかしこれ以降は、チームにはマンネリムードが広がり、エゴ丸出しの主力選手をまとめることができなかった結果、チームは2シーズン連続でリーグタイトルを取り逃がし、ライカールトは指揮権をジョゼップ・グアルディオラに譲り渡すこととなった。
その後、ガラタサライ、サウジアラビア代表の監督を歴任。ここでは芳しい結果は残せず、以降は幾つかあった監督就任のオファーを断って現在に至っている。
かつて、「世界で最も価値ある選手」といわれた男は今、現役時代や監督時代とは違い、穏やかな日々を送りながら、熾烈な戦いが日々展開されているサッカー界を見守り続けている。
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