欧州ナンバーワンの選手となったキーガンは80年に帰国を決意。サウサンプトンに加入し、ここで2シーズンを過ごしたが、81-82シーズンにはリーグ得点王に輝き、82年には勲章(OBE)を受勲する栄誉にも与っている。
そして31歳になった時、彼は2部リーグのニューカッスル移籍を発表してファンを驚かせる。理由はドイツに渡った時と同様、「挑戦のため」だった。そしてここでの2シーズンが、彼のプロ選手としての最後のキャリアの時となった。
ちなみに83年の夏には、ジャパンカップ(後のキリンカップ)出場のために来日。日本代表などとの試合だけでなく、サッカークリニックなどのイベントも精力的にこなした。
もちろん、キーガンにはイングランド代表としてのキャリアもある。72年から82年までに通算63試合出場・21得点という成績を残したが、それはクラブのキャリアに比べると、無念さに満ちたものとなった。
74年ワールドカップ予選で代表デビューを果たしながら、イングランドは続けて予選敗退を繰り返し、キーガンがようやく大舞台に立てたのは29歳の時。イタリアでの欧州選手権だった。
イングランドは優勝候補の一角だったが、期待を裏切ってのグループステージ敗退。初戦のベルギー戦の途中でファンが暴れて試合が中断となってから、キーガンの調子は狂い、そこから立て直すことができないまま、イタリアでは失意の夏を過ごすこととなった。
ハードスケジュールが不調の原因といわれるも、「そうは思わないが、原因が自分でも分からない」と首をかしげたキーガン。決して取材を断らないサービス精神が災いし、発言がメディアに歪曲されてイタリア人を敵に回してしまうなど、トラブルにも見舞われたりした。
その2年後、年齢的にも最後のチャンスであり、しかも自身が最も憧れていたW杯の舞台に立つ。しかし……大会開幕の数か月前、風呂場で栓を抜こうとした際に背筋を痛めてしまった彼は、この怪我を引きずり、スペイン大会の2次リーグ、スペイン戦に交代で30分間出場するに止まった。
こうして選手としてのキャリアを終えたキーガン。選手時代には「引退後は子どもたちを指導したい。プロチームの監督は嫌だね」と語っていたが、92年からニューカッスルの監督としてチームをプレミアリーグ昇格に導き、フルアム、マンチェスター・シティでも当時の所属リーグを制した。
95-96シーズンには、ニューカッスルでプレミア首位を独走したものの、後を追うマンチェスター・ユナイテッドの監督、アレックス・ファーガソンの挑発に応戦したことで、チームがバランスを崩し、世紀の大失速で優勝を逃すという苦い思いを味わいもした。
しかし、2000年の欧州選手権でグループステージ敗退を喫したものの、99年からイングランド代表監督を務めるなど、監督としてもステイタスを得たキーガン。選手時代同様、モチベーターとしての能力は非常に高かった。
よく動き、ソウルフルなプレーから「マイティマウス」のあだ名を付けられて愛されたキーガン。周囲の好意的な見方は、彼が立場を監督、解説者に移してからも変わらない。
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