「絶対に抜けていたようなシーンで抜けなくなった」
引退を決めた理由は「身体がしんどくなったから」だと明かす。
「きつくなってきたっていうのはありましたね。特に練習は人工芝で身体に負担がかっている部分があったので。本当は一昨年(2023年)のシーズンが終わった後にどうしようかなと本気で悩んだ時期もあって。でも(2024年から南葛の監督に)風間(八宏)さんが就任するということで、もう1年本気でやってみて無理だったら辞めようと思って臨んだ2024年だったので、いきなり引退を決めたわけじゃなく、ある程度、気持ちを整理しながらという形でした」
身体のサインも感じ取っていた。
「僕の場合はキレですね。怪我は少なかったんですよ。一度、前十字をやりましたけど、それ以外、大きな怪我はほとんどなかったので。でも、今までだったら絶対に抜けていたようなシーンなのに、抜けなくなったというのが、僕の中では大きかったですね。
以前だったら相手の前に入れていたのに、入れなくなった。年を経るごとにプレースタイルを変えてはいましたが、それでも相手の前に入ることが難しくなった。また風間さんが就任して、ボールの止め方ひとつにしてもチャレンジして、一生懸命100パーセントでやって結局試合に中々出られなかったので、本当にこれはもう仕方ないなと自分の中では割り切っていました。
それに風間さんのサッカーも、僕が川崎時代に知っていたものではなくなっていたんですよ。いや技術を大事する部分など原理は一緒なんですが、川崎の時はもっとサイドを使って揺さぶりながら相手コートに押し込んで、ペナルティエリアの三辺からどこからでも侵入していこうという形だったんですが、南葛では横パスやバックパスはいらない、とにかく前だと。
すごくスピードが上がって、進化していましたね。風間さんのサッカーやから、もうちょいゆっくりボールを回せるかなという淡い期待もあったんですよ(笑)。俺のサッカー寿命も伸びるんじゃないかと。でも逆に縮まりました(笑)。いや冗談ですよ」
「きつくなってきたっていうのはありましたね。特に練習は人工芝で身体に負担がかっている部分があったので。本当は一昨年(2023年)のシーズンが終わった後にどうしようかなと本気で悩んだ時期もあって。でも(2024年から南葛の監督に)風間(八宏)さんが就任するということで、もう1年本気でやってみて無理だったら辞めようと思って臨んだ2024年だったので、いきなり引退を決めたわけじゃなく、ある程度、気持ちを整理しながらという形でした」
身体のサインも感じ取っていた。
「僕の場合はキレですね。怪我は少なかったんですよ。一度、前十字をやりましたけど、それ以外、大きな怪我はほとんどなかったので。でも、今までだったら絶対に抜けていたようなシーンなのに、抜けなくなったというのが、僕の中では大きかったですね。
以前だったら相手の前に入れていたのに、入れなくなった。年を経るごとにプレースタイルを変えてはいましたが、それでも相手の前に入ることが難しくなった。また風間さんが就任して、ボールの止め方ひとつにしてもチャレンジして、一生懸命100パーセントでやって結局試合に中々出られなかったので、本当にこれはもう仕方ないなと自分の中では割り切っていました。
それに風間さんのサッカーも、僕が川崎時代に知っていたものではなくなっていたんですよ。いや技術を大事する部分など原理は一緒なんですが、川崎の時はもっとサイドを使って揺さぶりながら相手コートに押し込んで、ペナルティエリアの三辺からどこからでも侵入していこうという形だったんですが、南葛では横パスやバックパスはいらない、とにかく前だと。
すごくスピードが上がって、進化していましたね。風間さんのサッカーやから、もうちょいゆっくりボールを回せるかなという淡い期待もあったんですよ(笑)。俺のサッカー寿命も伸びるんじゃないかと。でも逆に縮まりました(笑)。いや冗談ですよ」
とはいえ、昨年の7月には一時期、先発のチャンスなども掴み、6月29日の8節・エリース東京FC戦では劇的な決勝弾を挙げるなど千両役者ぶりも示した。
だからこそ「早い段階から今年(2024年)で辞める」と話していた家族からは、「もうちょっとやったら良いのに」との声もあった。しかし、楠神にしか分からない感覚もあったのだろう。「今年やり切って」という想いに変化はなく、彼は戦友たちにバトンを託した。
「いろんな人に電話で報告しましたよ。『まだやれるやろ』と言ってもらいましたが、決めていたので『もう無理です』って答えながら。『お疲れ様』って言葉もかけてもらいましたね。
誰とのやり取りが印象に残った? うーんみんなそうですが、(小林)悠は、うん、やっぱそうだな。悠は同い年で一緒に川崎に入って、今までずっと刺激をもらい続けてきたので。だからあいつには、もっと続けて欲しいという気持ちが強いですね。悠は本当凄いですよ。あの膝で、身体だってボロボロなのに点を取る。川崎1年目で出会った時にすでに膝に重い怪我をしていましたからね。あの膝でよくあれだけ点を取れるなって。まだ第一線でやれているのは、本当にあいつの努力あってこそ。
それと(地元の後輩の)乾も、小さい頃からずっと一緒にやってきた存在。(2025年は清水で)またJ1に上がってプレーしている。悠を含めてこのふたりはやっぱり僕のなかでは特別な存在ですね。ふたりが活躍している姿を見ると本当に嬉しいですし、本当にできるところまでやって欲しい」
そう願いを語った楠神は改めて「もう本当に清々しいんですよ。最後に風間さんの下でプレーできて良かったなと。風間さんの目指すサッカーは凄く共感できるし、続ければ絶対強くなる。そのなかで不満を持ちながらの引退だったらモヤモヤするはずですけど、悔いがない。もうやり切った感覚ですね」と笑顔を向けてくれた。
(第2回に続く)
取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)
■南葛SCの今後のスケジュール こちら
https://www.nankatsu-sc.com/match-result
だからこそ「早い段階から今年(2024年)で辞める」と話していた家族からは、「もうちょっとやったら良いのに」との声もあった。しかし、楠神にしか分からない感覚もあったのだろう。「今年やり切って」という想いに変化はなく、彼は戦友たちにバトンを託した。
「いろんな人に電話で報告しましたよ。『まだやれるやろ』と言ってもらいましたが、決めていたので『もう無理です』って答えながら。『お疲れ様』って言葉もかけてもらいましたね。
誰とのやり取りが印象に残った? うーんみんなそうですが、(小林)悠は、うん、やっぱそうだな。悠は同い年で一緒に川崎に入って、今までずっと刺激をもらい続けてきたので。だからあいつには、もっと続けて欲しいという気持ちが強いですね。悠は本当凄いですよ。あの膝で、身体だってボロボロなのに点を取る。川崎1年目で出会った時にすでに膝に重い怪我をしていましたからね。あの膝でよくあれだけ点を取れるなって。まだ第一線でやれているのは、本当にあいつの努力あってこそ。
それと(地元の後輩の)乾も、小さい頃からずっと一緒にやってきた存在。(2025年は清水で)またJ1に上がってプレーしている。悠を含めてこのふたりはやっぱり僕のなかでは特別な存在ですね。ふたりが活躍している姿を見ると本当に嬉しいですし、本当にできるところまでやって欲しい」
そう願いを語った楠神は改めて「もう本当に清々しいんですよ。最後に風間さんの下でプレーできて良かったなと。風間さんの目指すサッカーは凄く共感できるし、続ければ絶対強くなる。そのなかで不満を持ちながらの引退だったらモヤモヤするはずですけど、悔いがない。もうやり切った感覚ですね」と笑顔を向けてくれた。
(第2回に続く)
取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)
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