「チャンピオンベルトを巻きながら死にたかった」
シンガポールに足を踏み入れたのは、プレーをしながら指導するという目的も。ロールモデルは、ピッチ内でのコーチングでも確かな足跡を残した日本代表の先輩たちだった。
「周りが後輩の選手たちになるので、これからのサッカー選手にどういう指導をすれば伸びるのかを現場で体感したかったんです。僕が行ったチームは、僕以外は23歳以下でみんな若いんですよ。そういう選手たちにどういう声掛けをしたら伸びるのか、ちょっと落ちていくのか、声掛けをしなかったらどうなるのかを知りたかったんです。ピッチ外じゃなくて、ピッチ内で指導ができるのは、選手のうちだけなので。
遠藤保仁さんや中村憲剛さんは、ピッチの中で相方のボランチを指導してるんですね。右行け、左行けとか。それでみんな上手くなっていっているので。まず僕は、ピッチで指導するサッカー選手になりたいと。自分のサッカー選手としてのキャリアが残り1年あるのか、2年あるのか、3年あるのか分からないけど、あるだけピッチ内での指導力をつけたいと思っていました。ピッチ外では、後からいくらでもつけられるので。
ヤットさんや憲剛さんは超一流だと思うんです。僕の中で超一流と一流の定義があって、自分が活躍するのは一流の選手なんです。超一流って、自分が活躍するプラス周りの選手も上手くなっていくんですよ。それで、そのチームも強くなっていく。
なので、ガンバが一時代を築いたのはヤットさんのおかげだし、川崎が一時代を作ったのも憲剛さんのおかげ。アントラーズが強かった時も小笠原満男さんだったり、僕は1番は新井場徹さんだと思うんですね。新井場さんたちが強くしたと思うので、そういう超一流の選手たちの現場での指導力をつけたくてアルビレックスに行きました」
【画像】編集部が厳選!ゲームを彩るJクラブ”美女チアリーダー”を一挙紹介!
「周りが後輩の選手たちになるので、これからのサッカー選手にどういう指導をすれば伸びるのかを現場で体感したかったんです。僕が行ったチームは、僕以外は23歳以下でみんな若いんですよ。そういう選手たちにどういう声掛けをしたら伸びるのか、ちょっと落ちていくのか、声掛けをしなかったらどうなるのかを知りたかったんです。ピッチ外じゃなくて、ピッチ内で指導ができるのは、選手のうちだけなので。
遠藤保仁さんや中村憲剛さんは、ピッチの中で相方のボランチを指導してるんですね。右行け、左行けとか。それでみんな上手くなっていっているので。まず僕は、ピッチで指導するサッカー選手になりたいと。自分のサッカー選手としてのキャリアが残り1年あるのか、2年あるのか、3年あるのか分からないけど、あるだけピッチ内での指導力をつけたいと思っていました。ピッチ外では、後からいくらでもつけられるので。
ヤットさんや憲剛さんは超一流だと思うんです。僕の中で超一流と一流の定義があって、自分が活躍するのは一流の選手なんです。超一流って、自分が活躍するプラス周りの選手も上手くなっていくんですよ。それで、そのチームも強くなっていく。
なので、ガンバが一時代を築いたのはヤットさんのおかげだし、川崎が一時代を作ったのも憲剛さんのおかげ。アントラーズが強かった時も小笠原満男さんだったり、僕は1番は新井場徹さんだと思うんですね。新井場さんたちが強くしたと思うので、そういう超一流の選手たちの現場での指導力をつけたくてアルビレックスに行きました」
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実際にやってみて「コツは掴めた」ようで、手応えはまずまずだ。
「今でも指導というか、アドバイスができるし、選手のうちにやっておいて良かったなと思いますね」
アルビレックス新潟シンガポールでは2年間プレー。1年目はリーグ戦9ゴール、2年目は11ゴールを挙げ、いずれの年もシンガポールプレミアリーグ制覇に大きく貢献していたなか、惜しまれつつ現役生活に終止符を打った。この決断に時間は要さず、「スパッと」下したという。
「チャンピオンベルトを巻きながら死にたかったんです。棺桶の中にチャンピオンベルトを持って行きたいなと。シンガポールアルビックスで2連覇して、チャンピオンベルトを巻きながら引退できました。それがあるのとないのとは、自分の中で全然違います。解説などコメンテーター的な立場でコメントしていますけど、そのプライドがあるからしっかりはっきりと、自信を持って言えています。行こうと思えば地域リーグなどに行けましたが、その国のタイトルを取って優勝したかったので、スパっといきました」
「今でも指導というか、アドバイスができるし、選手のうちにやっておいて良かったなと思いますね」
アルビレックス新潟シンガポールでは2年間プレー。1年目はリーグ戦9ゴール、2年目は11ゴールを挙げ、いずれの年もシンガポールプレミアリーグ制覇に大きく貢献していたなか、惜しまれつつ現役生活に終止符を打った。この決断に時間は要さず、「スパッと」下したという。
「チャンピオンベルトを巻きながら死にたかったんです。棺桶の中にチャンピオンベルトを持って行きたいなと。シンガポールアルビックスで2連覇して、チャンピオンベルトを巻きながら引退できました。それがあるのとないのとは、自分の中で全然違います。解説などコメンテーター的な立場でコメントしていますけど、そのプライドがあるからしっかりはっきりと、自信を持って言えています。行こうと思えば地域リーグなどに行けましたが、その国のタイトルを取って優勝したかったので、スパっといきました」