北朝鮮戦の3か月前には、ルーツを持つ韓国とも対戦
【不屈のストライカー特別インタビュー(5回/全10回)】
不屈の闘志で成り上がり、その左足で光と影を目定めた李忠成。ユニホームを脱いだ2023年9月からは新たなステージで挑戦を続けている。特別インタビューで胸の内に迫った。
――◆――◆――
在日韓国人4世の李氏は、FC東京U-18からトップチームに昇格したプロ1年目の2004年、U-19韓国代表候補のトレーニングキャンプに参加した。しかし「日本と韓国の文化の差を肌で感じました。僕は朝鮮学校出身で、朝鮮半島のアイデンティティがあるなかで、現地に行ってみたら『どっちの国でもない存在に自分はいるんだな』と気付いた」という。
そこで「じゃあ僕は何人だ」と考えた時に、「日本生まれ日本育ち、4世だし、日本のためにサッカーをして、貢献できればいい」という答えを導き出し、日本への帰化に至った。
イ・チュンソンからリ・タダナリに名前を変えたストライカーは、日の丸を背負って北京五輪に出場。さらにアジアカップ決勝では、自慢の左足でスーパーボレーを炸裂させ、ザックジャパンを優勝に導くゴールを奪ってみせた。
【画像】セルジオ越後、小野伸二、大久保嘉人、中村憲剛ら28名が厳選した「J歴代ベスト11」を一挙公開!
不屈の闘志で成り上がり、その左足で光と影を目定めた李忠成。ユニホームを脱いだ2023年9月からは新たなステージで挑戦を続けている。特別インタビューで胸の内に迫った。
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在日韓国人4世の李氏は、FC東京U-18からトップチームに昇格したプロ1年目の2004年、U-19韓国代表候補のトレーニングキャンプに参加した。しかし「日本と韓国の文化の差を肌で感じました。僕は朝鮮学校出身で、朝鮮半島のアイデンティティがあるなかで、現地に行ってみたら『どっちの国でもない存在に自分はいるんだな』と気付いた」という。
そこで「じゃあ僕は何人だ」と考えた時に、「日本生まれ日本育ち、4世だし、日本のためにサッカーをして、貢献できればいい」という答えを導き出し、日本への帰化に至った。
イ・チュンソンからリ・タダナリに名前を変えたストライカーは、日の丸を背負って北京五輪に出場。さらにアジアカップ決勝では、自慢の左足でスーパーボレーを炸裂させ、ザックジャパンを優勝に導くゴールを奪ってみせた。
【画像】セルジオ越後、小野伸二、大久保嘉人、中村憲剛ら28名が厳選した「J歴代ベスト11」を一挙公開!
鮮烈なアジアカップでの活躍から約半年後の2011年8月。札幌ドームで行なわれたキリンカップで、李氏はルーツを持つ韓国の代表チームとも顔を合わせていた。
訊けば、特別な思いは「もちろんあった」が、大前提として「日本代表に残るため」という考えが強くあったようだ。
「アジアカップのボレーシュートの時もそうだし、韓国戦の時も『この試合でゴールを取る』と。スタメンでもありましたし、自分が出たことによってチームがどう変化するのか、『目に見える変化を見せなきゃいけない』という、サッカー選手としての気持ちで臨みました。
あとは『李が韓国代表じゃなくて日本代表で出てる』『今はグローバルな世界になってるんだ』って、色んな人たちに勇気や元気、可能性を見せたかったです。そのためにはやっぱり活躍しなければ、かっこよくなければ、希望を見せられないので、プレパフォーマンスもしっかりしなければいけないと思っていました」
訊けば、特別な思いは「もちろんあった」が、大前提として「日本代表に残るため」という考えが強くあったようだ。
「アジアカップのボレーシュートの時もそうだし、韓国戦の時も『この試合でゴールを取る』と。スタメンでもありましたし、自分が出たことによってチームがどう変化するのか、『目に見える変化を見せなきゃいけない』という、サッカー選手としての気持ちで臨みました。
あとは『李が韓国代表じゃなくて日本代表で出てる』『今はグローバルな世界になってるんだ』って、色んな人たちに勇気や元気、可能性を見せたかったです。そのためにはやっぱり活躍しなければ、かっこよくなければ、希望を見せられないので、プレパフォーマンスもしっかりしなければいけないと思っていました」