32人のプロ選手を輩出
「98年フランス・ワールドカップのアジア予選の時は最初からずっとチームに関わっていて、加茂さんから岡田さんに交代することになった時も身近にいました。加茂さんからは『君は選手としての実績がないから、他の人の2倍3倍、頑張らなきゃいけない』と言われましたね。それは今も自分の大きな励みになっています。
岡田さんとは札幌時代も含めて長く一緒に仕事をすることになりましたが、監督としての孤独さ、覚悟を決める姿を間近で見て、いろいろ感じるところはありました。ワールドカップ出場権獲得、本大会のメンバー決定など全責任を負わなければいけない厳しさも感じた。監督という仕事の大変さを痛感させられました。
岡田さんの下で札幌のコーチになった頃は僕自身、まだまだ足りない部分が多くて、申し訳なさが強かったですけど、『しっかり支えたい』という情熱だけはあった。その気持ちだけは人一倍強かった。それで何とかやってこられたのかなと思います」
その後、長く育成畑を歩み、32人のプロ選手を輩出。2014年にはJFA公認S級指導者ライセンスを受講。2015年夏に認定された直後に、札幌でイヴィッツァ・バルバリッチ監督の後任としてトップチームの監督に就任。Jリーグの舞台で勝負する道を歩み出したのだ。
「札幌ユースで指導していた30代の頃は、『10年後、15年後には田嶋さんや岡田さんのようなリーダーシップのあるトップになりたい』と考えていました。でも徐々に『ちょっと違うな』と感じた。やっぱり自分は自分だなって思い始めたんです。
S級を取ったのも、そんな時期。ずっと育成に携わっていたいという思いがある反面、自分が携わった選手が次々とプロになっていくのを見ながら、『自分もこの選手たちと何か一緒にやりたいな』という気持ちが強くなっていったんです。
ただ、トップの監督にすぐなれるとは考えていなかった。当時の野々村(芳和=現Jリーグチェアマン)社長から『トップチームを何とかしてくれないか』と言われた時には正直、ビックリしましたけど、思い切って引き受け、3年間、指揮を執らせてもらった。
選手をどうモチベーション高く取り組ませるか、一体感を持ちながら活動していくかというチームマネジメントを大事にやったつもりです。2018年にミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ)監督が来て、自分は再びコーチに戻りましたけど、札幌でトップ指導に当たった7年間の経験は、今の糧になっています」
岡田さんとは札幌時代も含めて長く一緒に仕事をすることになりましたが、監督としての孤独さ、覚悟を決める姿を間近で見て、いろいろ感じるところはありました。ワールドカップ出場権獲得、本大会のメンバー決定など全責任を負わなければいけない厳しさも感じた。監督という仕事の大変さを痛感させられました。
岡田さんの下で札幌のコーチになった頃は僕自身、まだまだ足りない部分が多くて、申し訳なさが強かったですけど、『しっかり支えたい』という情熱だけはあった。その気持ちだけは人一倍強かった。それで何とかやってこられたのかなと思います」
その後、長く育成畑を歩み、32人のプロ選手を輩出。2014年にはJFA公認S級指導者ライセンスを受講。2015年夏に認定された直後に、札幌でイヴィッツァ・バルバリッチ監督の後任としてトップチームの監督に就任。Jリーグの舞台で勝負する道を歩み出したのだ。
「札幌ユースで指導していた30代の頃は、『10年後、15年後には田嶋さんや岡田さんのようなリーダーシップのあるトップになりたい』と考えていました。でも徐々に『ちょっと違うな』と感じた。やっぱり自分は自分だなって思い始めたんです。
S級を取ったのも、そんな時期。ずっと育成に携わっていたいという思いがある反面、自分が携わった選手が次々とプロになっていくのを見ながら、『自分もこの選手たちと何か一緒にやりたいな』という気持ちが強くなっていったんです。
ただ、トップの監督にすぐなれるとは考えていなかった。当時の野々村(芳和=現Jリーグチェアマン)社長から『トップチームを何とかしてくれないか』と言われた時には正直、ビックリしましたけど、思い切って引き受け、3年間、指揮を執らせてもらった。
選手をどうモチベーション高く取り組ませるか、一体感を持ちながら活動していくかというチームマネジメントを大事にやったつもりです。2018年にミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ)監督が来て、自分は再びコーチに戻りましたけど、札幌でトップ指導に当たった7年間の経験は、今の糧になっています」
ミシャ監督も「四方田のおかげで良いチーム作りができている」とたびたび名指しで感謝したほど、四方田監督の存在は大きかった。当時の教え子である中野嘉大も「札幌で通用するかどうか確証が持てなかった自分を認めて、力を引き出してくれたのがヨモさん」と語っていたが、選手たちの支えになったのは間違いない。
福森晃斗は「札幌2年目の2016年に開幕戦でいきなりベンチ外にされたことがあったんです。2015年に39試合出て、ちょっと有頂天になっていた部分があったのかなと。そういう気持ちに気づいたヨモさんがバッサリとやったってことでしょうけど、優しい顔して、やることは結構エグいですから」と冗談交じりに語っていた。そういった厳しさも四方田監督のストロングだろう。
数々の恩人たちから学び、築き上げた秘蔵っ子たちも認めるマネジメント術で、2024年の横浜FCを躍進に導いてほしいものである。
※第2回終了(全3回)
取材・文●元川悦子(フリーライター)
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数々の恩人たちから学び、築き上げた秘蔵っ子たちも認めるマネジメント術で、2024年の横浜FCを躍進に導いてほしいものである。
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