鮮やかなアクロバティックゴールのなかでも極めつけの一発!
◇マヌエル・ネグレテ:1959年3月11日生まれ メキシコ・アルタミラノ出身
1930年から始まったワールドカップ。その長き歴史のなかで、多くのスーパーゴールが生まれてきた。
ドリブルでの単独突破によるゴール、強烈なロングシュート、力強いヘディングシュート、DFやGKを手玉に取る浮き球でのゴール、鮮やかなパスワークによるゴール、そしてハンドに見える疑惑のゴール(?)等々……その種類は様々だ。
そう簡単には生まれない極上のゴール。そこにアクロバティックな一撃というものも含まれるだろう。宙を舞ったり、器用に身体を動かして、足や頭、あるいはその他の部位でボールを捉えるプレーは、時に美しく、ダイナミックであり、何より娯楽性に富んでいる。
そんなゴールのなかでも、歴代1位、2位といわれる美技を世界の大舞台で披露したのが、メキシコのマヌエル・ネグレテだ。
地元開催の1986年W杯、メキシコはグループリーグを2勝1分けで首位通過し、決勝トーナメント1回戦でブルガリアと対戦した。
エスタディオ・アステカに詰めかけた11万人を超える大観衆が沸いたのが34分。待ち望んだ先制点をメキシコが挙げたからだ。そして彼らをさらに興奮させたのは、それがネグレテの鮮やかなゴールだったことである。
ペナルティエリア手前で味方と浮き球でのワンツーを交わした彼は、右足で勢いをつけて身体を浮かせ、地面と水平の状態で左足を一閃(上写真)。ボールは矢のようにブルガリアゴールの右隅に突き刺さった。
このスーパーゴールで勢いを得たメキシコは、後半に1点を加えてブルガリアを下し、準々決勝に駒を進めた。ちなみにネグレテがゴール前にパスを交わした相手は、前日本代表監督のハビエル・アギーレである。
当時のメキシ代表コといえば、アクロバティックなプレーで有名なウーゴ・サンチェスがチームの中心として君臨していたが、そのお株を奪うジャンピングボレーを決めたネグレテ。彼もまた、メキシコ・サッカーを体現するような小柄なテクニシャンだった。
79年に国内のクラブ、UNAM(プーマス)でプロキャリアをスタートさせ、前述のW杯後にはポルトガルのスポルティング、スペインのヒホンでプレー。その後はメキシコに戻り、UNAM、モンテレー、トロス・ネサ、アカプルコ、アトランテとクラブを渡り歩き、96年にユニホームを脱いだ。
左足の正確なパスと柔らかいボールタッチによるドリブルを武器にしたゲームメーカーの名は、その歴史的なスーパーゴールとともに永遠に語り継がれていく。
ところで、W杯でのアクロバティックなゴールといえば、他にどのようなプレーがあっただろうか。
ネグレテと同じようなゴールでは、近年では2006年ドイツ大会でチュニジアのジアード・ジャジリがサウジアラビア戦で決めたプレーが挙げられるが、より印象的だったのは、そのドイツ大会で日本代表を率いたジーコの、82年スペイン大会のニュージーランド戦で披露したバイシクルだろう。
オーバーヘッドシュートなら、82年大会準決勝の延長戦、一時は2点をリードしたフランスに追いつくゴールを決めた西ドイツ(当時)のクラウス・フィッシャーの一発は、その劇的な試合展開とともに、サッカー界の伝説となっている。
しかし日本人にとっては、自国開催の02年でベルギーのマルク・ヴィルモッツ(現ベルギー代表監督)に決められた先制オーバーヘッド弾の方が忘れられないだろうか。
他にも、ヨハン・クライフ、ユルゲン・クリンスマン、ロナウド……名手たちによって生まれた「魔法のゴール」は数知れず。今後も、新たな“魔法”に我々は魅了されていくことだろう。
1930年から始まったワールドカップ。その長き歴史のなかで、多くのスーパーゴールが生まれてきた。
ドリブルでの単独突破によるゴール、強烈なロングシュート、力強いヘディングシュート、DFやGKを手玉に取る浮き球でのゴール、鮮やかなパスワークによるゴール、そしてハンドに見える疑惑のゴール(?)等々……その種類は様々だ。
そう簡単には生まれない極上のゴール。そこにアクロバティックな一撃というものも含まれるだろう。宙を舞ったり、器用に身体を動かして、足や頭、あるいはその他の部位でボールを捉えるプレーは、時に美しく、ダイナミックであり、何より娯楽性に富んでいる。
そんなゴールのなかでも、歴代1位、2位といわれる美技を世界の大舞台で披露したのが、メキシコのマヌエル・ネグレテだ。
地元開催の1986年W杯、メキシコはグループリーグを2勝1分けで首位通過し、決勝トーナメント1回戦でブルガリアと対戦した。
エスタディオ・アステカに詰めかけた11万人を超える大観衆が沸いたのが34分。待ち望んだ先制点をメキシコが挙げたからだ。そして彼らをさらに興奮させたのは、それがネグレテの鮮やかなゴールだったことである。
ペナルティエリア手前で味方と浮き球でのワンツーを交わした彼は、右足で勢いをつけて身体を浮かせ、地面と水平の状態で左足を一閃(上写真)。ボールは矢のようにブルガリアゴールの右隅に突き刺さった。
このスーパーゴールで勢いを得たメキシコは、後半に1点を加えてブルガリアを下し、準々決勝に駒を進めた。ちなみにネグレテがゴール前にパスを交わした相手は、前日本代表監督のハビエル・アギーレである。
当時のメキシ代表コといえば、アクロバティックなプレーで有名なウーゴ・サンチェスがチームの中心として君臨していたが、そのお株を奪うジャンピングボレーを決めたネグレテ。彼もまた、メキシコ・サッカーを体現するような小柄なテクニシャンだった。
79年に国内のクラブ、UNAM(プーマス)でプロキャリアをスタートさせ、前述のW杯後にはポルトガルのスポルティング、スペインのヒホンでプレー。その後はメキシコに戻り、UNAM、モンテレー、トロス・ネサ、アカプルコ、アトランテとクラブを渡り歩き、96年にユニホームを脱いだ。
左足の正確なパスと柔らかいボールタッチによるドリブルを武器にしたゲームメーカーの名は、その歴史的なスーパーゴールとともに永遠に語り継がれていく。
ところで、W杯でのアクロバティックなゴールといえば、他にどのようなプレーがあっただろうか。
ネグレテと同じようなゴールでは、近年では2006年ドイツ大会でチュニジアのジアード・ジャジリがサウジアラビア戦で決めたプレーが挙げられるが、より印象的だったのは、そのドイツ大会で日本代表を率いたジーコの、82年スペイン大会のニュージーランド戦で披露したバイシクルだろう。
オーバーヘッドシュートなら、82年大会準決勝の延長戦、一時は2点をリードしたフランスに追いつくゴールを決めた西ドイツ(当時)のクラウス・フィッシャーの一発は、その劇的な試合展開とともに、サッカー界の伝説となっている。
しかし日本人にとっては、自国開催の02年でベルギーのマルク・ヴィルモッツ(現ベルギー代表監督)に決められた先制オーバーヘッド弾の方が忘れられないだろうか。
他にも、ヨハン・クライフ、ユルゲン・クリンスマン、ロナウド……名手たちによって生まれた「魔法のゴール」は数知れず。今後も、新たな“魔法”に我々は魅了されていくことだろう。

W杯史上初めてPK戦までもつれ込んだ82年大会準決勝。ピエール・リトバルスキーのクロスをホルスト・ルベッシュが頭で折り返し、フィッシャーがオーバーヘッドを決めて追いついた。西ドイツのゲルマン魂が、勝利間近のフランスを奈落の底に突き落とした。 (C) SOCCER DIGEST