ポルトガルとの準決勝で2得点の活躍
ラムジーに与えられた最大の仕事は、チャールトンを進化させることだった。
当時の他の代表チームなら、抜きん出た才能を持つタレントを中心に据えたチーム作りを進めたはずだ。そのスターの気ままなポジショニングも、守備にほとんど参加しない姿勢もすべて受け入れて――。
だが、ラムジーは違った。彼はチャールトンに規律を植え付け、守備のタスクを与えた。互いの意見を戦わせることも少なくなかった。
「チャールトンがよりチームのためにチャンスを構築し、チームの勝利につなげるためにどうするべきか。われわれは何度も話し合った。だが、それがピッチの上で見られたのはせいぜい5分か、長くても10分程度だった。それを除けば、チャールトンはすべて忘れたかのように奔放だった」
ラムジーの期待にチャールトンがついに応えたのは1966年大会直前だった。
そしてチャールトンはポルトガルとの準決勝で2得点の活躍を見せた。おそらく彼にとってのキャリアの頂点だ。
続くウェンブリーでの決勝には、修道女からもらったという“奇跡のメダル”を握りしめたシジーも駆け付けた。ボビーの後方にはもちろん、ジャックの姿がある。しかし、ボビーはこの西ドイツ戦でほとんど消えていた。
【後編】に続く
文●サイモン・クーパー
翻訳●豊福 晋
※『ワールドサッカーダイジェスト』2023年12月21日号の記事を加筆・修正
【関連記事】この世を去ったイングランド史上最高のフットボーラー【サイモン・クーパーの追悼文|前編
当時の他の代表チームなら、抜きん出た才能を持つタレントを中心に据えたチーム作りを進めたはずだ。そのスターの気ままなポジショニングも、守備にほとんど参加しない姿勢もすべて受け入れて――。
だが、ラムジーは違った。彼はチャールトンに規律を植え付け、守備のタスクを与えた。互いの意見を戦わせることも少なくなかった。
「チャールトンがよりチームのためにチャンスを構築し、チームの勝利につなげるためにどうするべきか。われわれは何度も話し合った。だが、それがピッチの上で見られたのはせいぜい5分か、長くても10分程度だった。それを除けば、チャールトンはすべて忘れたかのように奔放だった」
ラムジーの期待にチャールトンがついに応えたのは1966年大会直前だった。
そしてチャールトンはポルトガルとの準決勝で2得点の活躍を見せた。おそらく彼にとってのキャリアの頂点だ。
続くウェンブリーでの決勝には、修道女からもらったという“奇跡のメダル”を握りしめたシジーも駆け付けた。ボビーの後方にはもちろん、ジャックの姿がある。しかし、ボビーはこの西ドイツ戦でほとんど消えていた。
【後編】に続く
文●サイモン・クーパー
翻訳●豊福 晋
※『ワールドサッカーダイジェスト』2023年12月21日号の記事を加筆・修正
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