チャンスがあれば呼んでみたい選手との出会いも
もちろん、難しいことばかりではなく、ポジティブなこともありました。
我々はセルビア代表の屋台骨を支えてくれる彼らだけに注目しているわけではありません。幸い、私が日本に帰国していた時期に、バイエルン・ミュンヘンやインテル・ミラノなど強豪国が来日。
ミスター(ドラガン・ストイコヴィッチ監督)からも「日本にいるならば見に行って欲しい」と言われたのですが、バイエルン・ミュンヘンには19歳のMFアレクサンダル・パブロビッチ、インテル・ミラノには21歳のGKフィリップ・スタンコヴィッチがいました。
パブロヴィッチはセカンドチームが現在の主戦場で、親善試合・川崎F戦では後半開始から出場。スタンコヴィッチは現在期限付き移籍でセリエBのサンプドリアでプレーしています。ふたりとも面白そうな選手で、チャンスがあれば呼んでみたい選手たちという印象を受けました。
我々はセルビア代表の屋台骨を支えてくれる彼らだけに注目しているわけではありません。幸い、私が日本に帰国していた時期に、バイエルン・ミュンヘンやインテル・ミラノなど強豪国が来日。
ミスター(ドラガン・ストイコヴィッチ監督)からも「日本にいるならば見に行って欲しい」と言われたのですが、バイエルン・ミュンヘンには19歳のMFアレクサンダル・パブロビッチ、インテル・ミラノには21歳のGKフィリップ・スタンコヴィッチがいました。
パブロヴィッチはセカンドチームが現在の主戦場で、親善試合・川崎F戦では後半開始から出場。スタンコヴィッチは現在期限付き移籍でセリエBのサンプドリアでプレーしています。ふたりとも面白そうな選手で、チャンスがあれば呼んでみたい選手たちという印象を受けました。
何度もお話しさせていただいているように、欧州各国の国際Aマッチはほとんどが公式戦です。勝利をしながら、血の入れ替えも敢行していかないといけない。さらにドイツ代表やトルコ代表の監督を見ていればご理解いただけるかと思いますが、与えられる時間は多くありません。
相反する難題と向き合いながら代表マッチをこなしていくのですが、我々は10月の敵地ハンガリー戦、本拠地モンテネグロ戦に勝利すれば来夏のEURO2024本大会出場は確定。そうなれば11月の親善試合ベルギー戦とEURO予選最終戦ブルガリア戦は新戦力起用にトライすることができます。なんとか2連勝を収めて、また良い報告ができればと思っています。
――◆――◆――
PROFILE
喜熨斗勝史
きのし・かつひと/1964年10月6日生まれ、東京都出身。日本体育大卒業後に教員を経て、東京大学大学院に入学した勤勉家。プロキャリアはないが関東社会人リーグでプレーした経験がある。東京都高体連の地区選抜のコーチや監督を歴任したのち、1995年にベルマーレ平塚でプロの指導者キャリアをスタート。その後は様々なクラブでコーチやフィジカルコーチを歴任し、2004年からは三浦知良とパーソナルトレーナー契約を結んだ。08年に名古屋のフィジカルコーチに就任。ストイコビッチ監督の右腕として10年にはクラブ初のリーグ優勝に貢献した。その後は“ピクシー”が広州富力(中国)の指揮官に就任した15年夏には、ヘッドコーチとして入閣するなど、計11年半ほどストイコビッチ監督を支え続けている。
指導歴
95年6月~96年:平塚ユースフィジカルコーチ
97年~99年:平塚フィジカルコーチ
99年~02年:C大阪フィジカルコーチ
02年:浦和フィジカルコーチ
03年:大宮フィジカルコーチ
04年:尚美学園大ヘッドコーチ/東京YMCA社会体育保育専門学校監督/三浦知良パーソナルコーチ
05年:横浜FCコーチ
06年~08年:横浜FCフィジカルコーチ(チーフフィジカルディレクター)
08年~14年:名古屋フィジカルコーチ
14年~15年8月:名古屋コーチ
15年8月~:広州富力トップチームコーチ兼ユースアカデミーテクニカルディレクター
19年11月~12月:広州富力トップチーム監督代行
21年3月~: セルビア代表アシスタントコーチ
相反する難題と向き合いながら代表マッチをこなしていくのですが、我々は10月の敵地ハンガリー戦、本拠地モンテネグロ戦に勝利すれば来夏のEURO2024本大会出場は確定。そうなれば11月の親善試合ベルギー戦とEURO予選最終戦ブルガリア戦は新戦力起用にトライすることができます。なんとか2連勝を収めて、また良い報告ができればと思っています。
――◆――◆――
PROFILE
喜熨斗勝史
きのし・かつひと/1964年10月6日生まれ、東京都出身。日本体育大卒業後に教員を経て、東京大学大学院に入学した勤勉家。プロキャリアはないが関東社会人リーグでプレーした経験がある。東京都高体連の地区選抜のコーチや監督を歴任したのち、1995年にベルマーレ平塚でプロの指導者キャリアをスタート。その後は様々なクラブでコーチやフィジカルコーチを歴任し、2004年からは三浦知良とパーソナルトレーナー契約を結んだ。08年に名古屋のフィジカルコーチに就任。ストイコビッチ監督の右腕として10年にはクラブ初のリーグ優勝に貢献した。その後は“ピクシー”が広州富力(中国)の指揮官に就任した15年夏には、ヘッドコーチとして入閣するなど、計11年半ほどストイコビッチ監督を支え続けている。
指導歴
95年6月~96年:平塚ユースフィジカルコーチ
97年~99年:平塚フィジカルコーチ
99年~02年:C大阪フィジカルコーチ
02年:浦和フィジカルコーチ
03年:大宮フィジカルコーチ
04年:尚美学園大ヘッドコーチ/東京YMCA社会体育保育専門学校監督/三浦知良パーソナルコーチ
05年:横浜FCコーチ
06年~08年:横浜FCフィジカルコーチ(チーフフィジカルディレクター)
08年~14年:名古屋フィジカルコーチ
14年~15年8月:名古屋コーチ
15年8月~:広州富力トップチームコーチ兼ユースアカデミーテクニカルディレクター
19年11月~12月:広州富力トップチーム監督代行
21年3月~: セルビア代表アシスタントコーチ