入団の決め手は「ひと花咲かせてほしい」。
川口と望月。ふたりの出会いは少年時代まで遡る。
じつは望月にとって川口にオファーを出したのは今回が初めてのことではない。今から25年前にも、川口にラブコールを送ったことがある。
「僕が高校2年の時、大滝(雅良)監督から『川口能活を口説いてこい』と言われたんです。中3だった彼に会いに行って、清水商(現・清水桜が丘)に来ない?って誘ったんですよ。あのこと、能活は覚えているのかな?」
25年前の出来事を、川口は覚えているどころか、望月よりもさらに鮮明に覚えていた。
「(望月)重良さんから声をかけてもらったのは、今でも覚えていますよ。ちょうどその時、静岡の選抜チームで中高合同合宿をしていた僕のところに来てくれたんですよ。憧れの高校でしたからすごく嬉しかった。今回もそれ以上に嬉しいですね。必要とされているクラブでプレーできる。それだけでモチベーションが上がってきますよ」
当初、川口はJ3というカテゴリーでプレーすることはまったく考えていなかった。しかし、それでも彼の心を相模原入りへと傾かせたのは、やはり望月が獲得に動いてくれたからに他ならない。川口は言う。
「去年の夏、重良さんが電話をくれた時、今後のことについて少し話したのです。正直、引退という言葉も頭をよぎりました。でも重良さんは、このまま終わっていいのか? うち(相模原)でもうひと花咲かせてみないか――。この言葉を聞いた瞬間、僕の心は固まりました。今改めて振り返ると、あの言葉が決め手でしたね。この人のために全身全霊で頑張りたい、自分が持っているすべての経験をクラブに伝えたいって」
望月がクラブとして川口に期待しているのは、その存在感の大きさだ。今年で41歳を迎える。新チームのなかでも、そのキャリアと合わせて年齢も突出している。
「年齢はネックにはならないのか?」
あえてネガティブな質問を投げかけてみたところ、間髪入れず、望月はこれを一蹴した。
「我々は能活のことを戦力として獲得したのです。サッカーは年齢でやるものではありません。スタメンを決めるのはもちろん監督ですが、僕のなかでは能活は不動のスタメンです。他の誰よりも、実力とキャリアが違いすぎる。なにせワールドカップに4回出場したプレーヤーなんですから」
じつは望月にとって川口にオファーを出したのは今回が初めてのことではない。今から25年前にも、川口にラブコールを送ったことがある。
「僕が高校2年の時、大滝(雅良)監督から『川口能活を口説いてこい』と言われたんです。中3だった彼に会いに行って、清水商(現・清水桜が丘)に来ない?って誘ったんですよ。あのこと、能活は覚えているのかな?」
25年前の出来事を、川口は覚えているどころか、望月よりもさらに鮮明に覚えていた。
「(望月)重良さんから声をかけてもらったのは、今でも覚えていますよ。ちょうどその時、静岡の選抜チームで中高合同合宿をしていた僕のところに来てくれたんですよ。憧れの高校でしたからすごく嬉しかった。今回もそれ以上に嬉しいですね。必要とされているクラブでプレーできる。それだけでモチベーションが上がってきますよ」
当初、川口はJ3というカテゴリーでプレーすることはまったく考えていなかった。しかし、それでも彼の心を相模原入りへと傾かせたのは、やはり望月が獲得に動いてくれたからに他ならない。川口は言う。
「去年の夏、重良さんが電話をくれた時、今後のことについて少し話したのです。正直、引退という言葉も頭をよぎりました。でも重良さんは、このまま終わっていいのか? うち(相模原)でもうひと花咲かせてみないか――。この言葉を聞いた瞬間、僕の心は固まりました。今改めて振り返ると、あの言葉が決め手でしたね。この人のために全身全霊で頑張りたい、自分が持っているすべての経験をクラブに伝えたいって」
望月がクラブとして川口に期待しているのは、その存在感の大きさだ。今年で41歳を迎える。新チームのなかでも、そのキャリアと合わせて年齢も突出している。
「年齢はネックにはならないのか?」
あえてネガティブな質問を投げかけてみたところ、間髪入れず、望月はこれを一蹴した。
「我々は能活のことを戦力として獲得したのです。サッカーは年齢でやるものではありません。スタメンを決めるのはもちろん監督ですが、僕のなかでは能活は不動のスタメンです。他の誰よりも、実力とキャリアが違いすぎる。なにせワールドカップに4回出場したプレーヤーなんですから」