戦いを貫徹した男たちは頭を垂れず、敗れざる者の顔を浮かべていた。
リーベルだけでなく、アルゼンチンのクラブに顕著な特徴と言えるが、彼らは戦いのツボを知っている。相手がどんな心理状態で、自分たちがなにをすべきか、なにをしてはいけないのか。その呼吸が彼らは絶妙で、比類がない。それはボール扱いが上手い、下手という次元を完全に超えている。ずる賢さやマリーシアとも少し違い、どこか打算的で戦闘に長けているのだ。
戦い慣れしていない選手は、窮屈な状況に堪えきれない。我慢できず、勢いに任せて攻めかかってしまう。自陣にこもっていることが卑怯に映る、それに堪えられない。しかし、戦いの巧者は自分がどう見られるかよりも、最後に勝てるか、にすべてを懸けられる。だから、少々相手に攻められる状況であっても、少しも焦らず、じっくりと構え、相手の急所を突ける。
勝つためには、どんなに“不細工”でも一向に構わないのだ。
クラブワールドカップ決勝、リーベルは明らかに格上のFCバルセロナに対し、彼ら独自の戦いを見せている。試合開始から容赦なくバルサの選手の足を削り、小突き回している。挑発し、苛立たせ、あわよくば報復を誘った。欧州のジャッジ基準なら、ほとんどがファウルになるようなシーンが続いた。見ようによっては、見苦しかった。しかし悪逆の限りを尽くしたとしても、勝利こそが彼らにとっての絶対的正義なのである。
結局、リーベルは力の差を見せつけられる形で0-3と蹴散らされた。引き立て役に過ぎなかった。しかし、戦いを貫徹した男たちは頭を垂れず、敗れざる者の顔を浮かべていた。その表情にこそ、アルゼンチン流の戦い方の極意があった。
彼らは決して屈しない。
あの日の経験も、戦闘者としての厚みに加えるのだろう。
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。01年にバルセロナへ渡りライターに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写。近著に『おれは最後に笑う』(東邦出版)。
戦い慣れしていない選手は、窮屈な状況に堪えきれない。我慢できず、勢いに任せて攻めかかってしまう。自陣にこもっていることが卑怯に映る、それに堪えられない。しかし、戦いの巧者は自分がどう見られるかよりも、最後に勝てるか、にすべてを懸けられる。だから、少々相手に攻められる状況であっても、少しも焦らず、じっくりと構え、相手の急所を突ける。
勝つためには、どんなに“不細工”でも一向に構わないのだ。
クラブワールドカップ決勝、リーベルは明らかに格上のFCバルセロナに対し、彼ら独自の戦いを見せている。試合開始から容赦なくバルサの選手の足を削り、小突き回している。挑発し、苛立たせ、あわよくば報復を誘った。欧州のジャッジ基準なら、ほとんどがファウルになるようなシーンが続いた。見ようによっては、見苦しかった。しかし悪逆の限りを尽くしたとしても、勝利こそが彼らにとっての絶対的正義なのである。
結局、リーベルは力の差を見せつけられる形で0-3と蹴散らされた。引き立て役に過ぎなかった。しかし、戦いを貫徹した男たちは頭を垂れず、敗れざる者の顔を浮かべていた。その表情にこそ、アルゼンチン流の戦い方の極意があった。
彼らは決して屈しない。
あの日の経験も、戦闘者としての厚みに加えるのだろう。
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。01年にバルセロナへ渡りライターに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写。近著に『おれは最後に笑う』(東邦出版)。