「個人が伸びていくのが一番のやりがい」
2006~08年の柏も、自身のキャリアの中では最もインパクトの大きい経験だったという。当時の柏は2005年にJ1・J2入替戦でヴァンフォーレ甲府に敗れ、波戸康弘、明神智和や玉田圭司ら日本代表経験者がごっそり移籍。チーム再建を迫られていた。
「柏では大谷(秀和)を左サイドバックで使ったのが1つ、思い出深いかな。ボランチにはリカルジーニョや(山根)巌がいたから、大谷がもったいないと思ってそういう判断をして、今で言うインナーラップやゲームの組み立てを任せた。今、偽サイドバックみたいな言葉もあるけど、ワシは15年以上前に柏でやってたんだよね(笑)。
チュンソン(李忠成)をトップ下に置いて、FWのフランサを追い越していくゼロトップのような形にもトライさせました。フランサはあんまり守備もするわけじゃないし、運動量も少なかったから、彼の周りに(菅沼)実やチュンソン、太田(圭輔)のような走れる選手を置いて、上手く機能するように仕向けた。4バックでどうやってハイプレスをかけるかも研究しながら取り組みましたけど、それも上手くいって1年で昇格できましたね。
その後、2年残留して、2007年はJ1で8位まで行った。自分の監督キャリアの最高成績ですね(笑)。古賀(正紘)ちゃんや谷澤(達也)、パンゾウ(小林祐三)とか面白い選手もたくさんいたし、やっぱり脳裏に深く刻まれている。良いチームだったなと思っています」
柏にしても、大谷が2022年に引退するまでワンクラブマンとしてチームを支え、李も向上心を失うことなく現役生活を続けている。石﨑監督との出会いがターニングポイントになった面々も少なくなかったはずだ。
「柏では大谷(秀和)を左サイドバックで使ったのが1つ、思い出深いかな。ボランチにはリカルジーニョや(山根)巌がいたから、大谷がもったいないと思ってそういう判断をして、今で言うインナーラップやゲームの組み立てを任せた。今、偽サイドバックみたいな言葉もあるけど、ワシは15年以上前に柏でやってたんだよね(笑)。
チュンソン(李忠成)をトップ下に置いて、FWのフランサを追い越していくゼロトップのような形にもトライさせました。フランサはあんまり守備もするわけじゃないし、運動量も少なかったから、彼の周りに(菅沼)実やチュンソン、太田(圭輔)のような走れる選手を置いて、上手く機能するように仕向けた。4バックでどうやってハイプレスをかけるかも研究しながら取り組みましたけど、それも上手くいって1年で昇格できましたね。
その後、2年残留して、2007年はJ1で8位まで行った。自分の監督キャリアの最高成績ですね(笑)。古賀(正紘)ちゃんや谷澤(達也)、パンゾウ(小林祐三)とか面白い選手もたくさんいたし、やっぱり脳裏に深く刻まれている。良いチームだったなと思っています」
柏にしても、大谷が2022年に引退するまでワンクラブマンとしてチームを支え、李も向上心を失うことなく現役生活を続けている。石﨑監督との出会いがターニングポイントになった面々も少なくなかったはずだ。
柏を離れ、2009年に赴いたのがJ2の札幌だった。今でこそJ1常連のイメージが強いクラブだが、2000~2010年代にかけてはJ1とJ2を行き来するエレベータークラブという色合いが強かった。
アカデミーを強化して強固な基盤を構築しようと努力していたが、石﨑監督が赴いたのはそこから浮上を期していた頃。指揮官はJ2で3シーズン戦って成長途上のメンバーを引き上げ、2011年にようやくJ2・3位になってJ1昇格を果たし、2012年まで指揮を執った。
「札幌ではまだ高校生だった荒野拓馬を使ったり、宮澤裕樹をフォワードからボランチにコンバートしたりしましたね。若かった西大伍や前(貴之)ちゃん、奈良(竜樹)なんかも鍛えて何とかモノにしようと意識して取り組んでました。
西も中盤からサイドバックにしたのはワシだから(笑)。チームには必ず足りないポジションというのがあるんだけど、あの時はサイドバックが不足していて、適した選手は誰だろうと見渡した結果、西をピックアップした形だね。それが結果的に奏功して、西は代表まで行ったよね。そうやって個人個人が伸びていくのが一番のやりがいだし、監督の楽しさですね」と、石﨑監督は嬉しそうに言う。
実際、今も宮澤と荒野はボランチの軸としてミシャ体制の札幌を力強くけん引。西は出番こそ減ったが、ベテランとしてチームに貢献している。その種まきをした石﨑監督の貢献度はやはり高い。そこを我々は今一度、再認識すべきだろう(続く)。
取材・文●元川悦子(フリーライター)
監督業はJ1からJFLまで11クラブで28年。「ワシはこれしかできんからね」。名将・石﨑信弘が考える今季J3と八戸のチーム強化
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アカデミーを強化して強固な基盤を構築しようと努力していたが、石﨑監督が赴いたのはそこから浮上を期していた頃。指揮官はJ2で3シーズン戦って成長途上のメンバーを引き上げ、2011年にようやくJ2・3位になってJ1昇格を果たし、2012年まで指揮を執った。
「札幌ではまだ高校生だった荒野拓馬を使ったり、宮澤裕樹をフォワードからボランチにコンバートしたりしましたね。若かった西大伍や前(貴之)ちゃん、奈良(竜樹)なんかも鍛えて何とかモノにしようと意識して取り組んでました。
西も中盤からサイドバックにしたのはワシだから(笑)。チームには必ず足りないポジションというのがあるんだけど、あの時はサイドバックが不足していて、適した選手は誰だろうと見渡した結果、西をピックアップした形だね。それが結果的に奏功して、西は代表まで行ったよね。そうやって個人個人が伸びていくのが一番のやりがいだし、監督の楽しさですね」と、石﨑監督は嬉しそうに言う。
実際、今も宮澤と荒野はボランチの軸としてミシャ体制の札幌を力強くけん引。西は出番こそ減ったが、ベテランとしてチームに貢献している。その種まきをした石﨑監督の貢献度はやはり高い。そこを我々は今一度、再認識すべきだろう(続く)。
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