成功の後に待ち受ける良質なサッカーとの別れ。
監督は何と言っているか?
「私たちは常に、降格圏から十分な距離を保っていなければならない」
スイスのヴァリス出身のマルティン・シュミットのそうした現実主義的な考えは、マインツの街でポジティブに受け止められている。
何より評価されているのは、フランクフルトに勝点9差をつけている点だ。同じライン・マイン地方に本拠地を置くこのライバルは、ずっと手の届かない存在だった。
フランクフルトが73-74シーズンにDFB杯で初優勝した時、マインツはまだ3部で、ライバルが90年代にトップリーグで覇権を争っていた時には2部にいた。
ちなみに、隣町の“ユリ”(ダルムシュタットの愛称)に勝点5差をつけているのは、マインツの人々にとって必ずしも喜ばしいことではない。ダルムシュタットのGKコーチは元マインツ主将のディモ・ヴァッヘで、正GKのクリスティアン・マテニアはマインツ出身。そうした事情から、隣町のライバルといえど、マインツ人はダルムシュタットの苦戦を望んでいないのだ。
マインツが過去に15節終了時点で7位より上にいたのは、10-11シーズンの一度だけ。トーマス・トゥヘル(現ドルトムント監督)率いるチームは開幕7連勝を飾り、15節を終えて勝点30で2位につけていた。この時は最終的に勝点58の5位でシーズンを終え、EL出場権を獲得している。
数シーズンに一度くらいは、そうした好成績を残すことは可能だろう。ただ、マインツのファンは知っている。チームが成功を収めた後には、良質なサッカーに別れを告げなければならないと――。
なぜなら主力選手たちがビッグクラブの目に留まり、引き抜かれてしまうからだ。例えばユヌス・マッリや武藤のような選手が、である。
文:ラインハルト・レーベルク
翻訳:円賀貴子
【著者プロフィール】
Reinhard REHBERG(ラインハルト・レーベルク)/『ライン新聞』で1987年から27年にわたってマインツの番記者を務める。現在はフリーで、「マインツァー・アルゲマイネ新聞」のコラムニストを務める一方、監督業を志す指導者に向けたコーチングも行なっている。マインツ出身、57年7月30日生まれ。
「私たちは常に、降格圏から十分な距離を保っていなければならない」
スイスのヴァリス出身のマルティン・シュミットのそうした現実主義的な考えは、マインツの街でポジティブに受け止められている。
何より評価されているのは、フランクフルトに勝点9差をつけている点だ。同じライン・マイン地方に本拠地を置くこのライバルは、ずっと手の届かない存在だった。
フランクフルトが73-74シーズンにDFB杯で初優勝した時、マインツはまだ3部で、ライバルが90年代にトップリーグで覇権を争っていた時には2部にいた。
ちなみに、隣町の“ユリ”(ダルムシュタットの愛称)に勝点5差をつけているのは、マインツの人々にとって必ずしも喜ばしいことではない。ダルムシュタットのGKコーチは元マインツ主将のディモ・ヴァッヘで、正GKのクリスティアン・マテニアはマインツ出身。そうした事情から、隣町のライバルといえど、マインツ人はダルムシュタットの苦戦を望んでいないのだ。
マインツが過去に15節終了時点で7位より上にいたのは、10-11シーズンの一度だけ。トーマス・トゥヘル(現ドルトムント監督)率いるチームは開幕7連勝を飾り、15節を終えて勝点30で2位につけていた。この時は最終的に勝点58の5位でシーズンを終え、EL出場権を獲得している。
数シーズンに一度くらいは、そうした好成績を残すことは可能だろう。ただ、マインツのファンは知っている。チームが成功を収めた後には、良質なサッカーに別れを告げなければならないと――。
なぜなら主力選手たちがビッグクラブの目に留まり、引き抜かれてしまうからだ。例えばユヌス・マッリや武藤のような選手が、である。
文:ラインハルト・レーベルク
翻訳:円賀貴子
【著者プロフィール】
Reinhard REHBERG(ラインハルト・レーベルク)/『ライン新聞』で1987年から27年にわたってマインツの番記者を務める。現在はフリーで、「マインツァー・アルゲマイネ新聞」のコラムニストを務める一方、監督業を志す指導者に向けたコーチングも行なっている。マインツ出身、57年7月30日生まれ。