スマホで動画を撮り、自分のプレーを分析
中2でのフィールド転向は、プロを目ざすうえで茨の道であることに変わりはなかったが、受け入れがたい現実に対して目を背けずに、決断を下した。
「プロになりたいと考えた時に、僕の身長ではGKで戦い続けるのは厳しいと思うので、フィールドでやらせてください」
覚悟を決めた大森は、中学2年生の10月の面談の際に、広島ジュニアユースの高田哲也監督(現・大分トリニータU-18監督)にこう直訴した。当時、GKコーチを務めていた河野直人コーチに「十分に実力はある。やめてほしくない、続けてほしい」と言われたが、「河野コーチの僕を思う気持ちや愛情を感じていたのですが、一度決めたことを覆す気はなかった」と強い意志は変わらなかった。
「やっぱり僕には夢があるので、広島ジュニアユースを辞めてでもフィールドに転向したいです」
高田監督も河野コーチも、大森のこの不退転の思いを汲み、広島ジュニアユースでのフィールド転向を了承した。
「プロになりたいと考えた時に、僕の身長ではGKで戦い続けるのは厳しいと思うので、フィールドでやらせてください」
覚悟を決めた大森は、中学2年生の10月の面談の際に、広島ジュニアユースの高田哲也監督(現・大分トリニータU-18監督)にこう直訴した。当時、GKコーチを務めていた河野直人コーチに「十分に実力はある。やめてほしくない、続けてほしい」と言われたが、「河野コーチの僕を思う気持ちや愛情を感じていたのですが、一度決めたことを覆す気はなかった」と強い意志は変わらなかった。
「やっぱり僕には夢があるので、広島ジュニアユースを辞めてでもフィールドに転向したいです」
高田監督も河野コーチも、大森のこの不退転の思いを汲み、広島ジュニアユースでのフィールド転向を了承した。
それからは努力を重ねた。全体練習のあとに毎日のように仲間のDFを捕まえて1対1をひたすらやった。スマートフォンで動画を撮って、自分のドリブルの形やタイミングなどを分析し、長所であるスピードとキレを伸ばし、課題であるボールタッチの質や間合いなどをひたすら意識して技を磨き続けた。
そんな大森の努力をスタッフは見逃さず、転向から2か月はベンチ外だったが、年が明けて新チームが立ち上がると、広島のレジェンドナンバーでもある11番を与え、FWとしてレギュラーに抜擢した。
「技術などは他の選手とは圧倒的に劣るからこそ、全力で前線からボールを追いかける、チームのために走ることを意識したからこそチャンスがもらえたと思う」
前線からのハードワークと磨いたドリブルを武器に、大森はメキメキと力をつけていく。ユースに昇格はできなかったが、実力が評価されて東海大福岡から誘いをもらって進学。卒業時には高田監督から「お前ならどこでもやれるから頑張れ」とエールをもらった。
そんな大森の努力をスタッフは見逃さず、転向から2か月はベンチ外だったが、年が明けて新チームが立ち上がると、広島のレジェンドナンバーでもある11番を与え、FWとしてレギュラーに抜擢した。
「技術などは他の選手とは圧倒的に劣るからこそ、全力で前線からボールを追いかける、チームのために走ることを意識したからこそチャンスがもらえたと思う」
前線からのハードワークと磨いたドリブルを武器に、大森はメキメキと力をつけていく。ユースに昇格はできなかったが、実力が評価されて東海大福岡から誘いをもらって進学。卒業時には高田監督から「お前ならどこでもやれるから頑張れ」とエールをもらった。