好戦的で傍若無人な性格がキャリアを台無しに…
フランス北部のアミアンで生まれ、貧困の中で育った。履き潰したスパイクを買い替えるお金がなく、取れたスタッドをテープで貼り付けてプレーしていたと言う。
「想像を絶するような経験をした。身の毛もよだつようなね。でも、それが俺を強くした。いまの俺はだからあるんだ」
本人がそう描写する壮絶な生い立ちが、好戦的で、傍若無人な人格を作り上げたのだろう。
その性格がキャリアを台無しにした。FFFが厳罰を下した夜遊びの一件で獲得に動いていたクラブが一斉に手を引き、フランス代表に定着して14年のワールドカップに出場するチャンスが閉ざされてしまった。
13年1月、雑音から逃れるようにロシアに渡り、ルビン・カザンで出直しを図った。しかし、まるで反抗期のティーンエージャーのような青臭い衝動は止まらない。
「想像を絶するような経験をした。身の毛もよだつようなね。でも、それが俺を強くした。いまの俺はだからあるんだ」
本人がそう描写する壮絶な生い立ちが、好戦的で、傍若無人な人格を作り上げたのだろう。
その性格がキャリアを台無しにした。FFFが厳罰を下した夜遊びの一件で獲得に動いていたクラブが一斉に手を引き、フランス代表に定着して14年のワールドカップに出場するチャンスが閉ざされてしまった。
13年1月、雑音から逃れるようにロシアに渡り、ルビン・カザンで出直しを図った。しかし、まるで反抗期のティーンエージャーのような青臭い衝動は止まらない。
ウインターブレイク中の合宿への参加を拒否して2年目の途中にクラブの信頼を失う。厄介払いされたレンタル先のインテルとサンダーランドでもトラブルを撒き散らす。インテルでは前述のようにマンチーニ監督を激怒させ、サンダーランドでは完全移籍に合意しながら土壇場でそれを一方的に反故にした。いずれも理由は不明だ。
サンテティエンヌを経て、現在はオリンピアコスで3年目を迎えている。30歳を超えてようやく精神的に落ち着いたようだ。加入から2年連続で30試合以上に出場してリーグ連覇に貢献している。自分でも手応えがあるのだろう。カタール・ワールドカップの前には、『レキップ』紙のインタビューで代表入りをアピールした。
「ギリシャから歩いてでも行くよ。フランス代表が今の自分を作ってくれた。まだまだやれるって信じている」
当然と言うべきか、カタール行きは叶わなかった。32歳のMFは、いまさら失った時間を取り戻せるだろうか。
文●松野敏史
※『ワールドサッカーダイジェスト』2023年1月19日号より転載
サンテティエンヌを経て、現在はオリンピアコスで3年目を迎えている。30歳を超えてようやく精神的に落ち着いたようだ。加入から2年連続で30試合以上に出場してリーグ連覇に貢献している。自分でも手応えがあるのだろう。カタール・ワールドカップの前には、『レキップ』紙のインタビューで代表入りをアピールした。
「ギリシャから歩いてでも行くよ。フランス代表が今の自分を作ってくれた。まだまだやれるって信じている」
当然と言うべきか、カタール行きは叶わなかった。32歳のMFは、いまさら失った時間を取り戻せるだろうか。
文●松野敏史
※『ワールドサッカーダイジェスト』2023年1月19日号より転載