逆に曲がった足首を見て「俺の高校サッカーが終わった」。だが心は折れずに完全復活した昌平CB津久井圭佑。最高の仲間たちと「笑って終わりたい」と願う【選手権】
カテゴリ:高校・ユース・その他
2022年12月30日
「この時間をプラスに捉えようと言い聞かせていた」
――怪我をしても時間が経てば、少しずつ冷静になってくると思います。ただ、卒業後の進路を考えた時期もあったでしょうし、気持ちを整理するのが大変だったのでは?
「正直、高卒でプロ入りするのは無理だと感じていました。8月4日に手術をしたんですけど、この時点ではどこからもオファーが届いていなかったんですよ。なので、入院中はどこの大学に進学しようかなって感じでした。本当に不安しかなかった。もちろん怪我から復帰すれば、サッカーは大学でできるんですけど、病室でかなり考えましたね」
――弱音を吐いたりとかもあったのでしょうか?
「誰にも弱音は言わなかったですね。自分としては前向きに捉えようと心掛け、怪我をしている間に自分の弱点であるフィジカル面を鍛える時間ができたと考えていましたから。この時間をプラスに捉えようと言い聞かせていたので、弱音を吐く時はありませんでした」
――入院中に考えを整理していくなかで、鹿島からオファーが届いたのはいつでしょうか?
「8月の中旬ぐらいです。退院した日に話がありました」
――その時の感情は?
「元々、藤島崇之監督から『ビッククラブから話がきているぞ』と言われていたので、どこだろうと思っていたら、『鹿島アントラーズ』と伝えられたんです。びっくりするというよりも、『え?』みたいな感じで、もう放心状態。いろんな感情が混じっていて、頭の中で情報が整理できなかったですね」
――「自分は怪我しているのに」、「なんで俺?」みたいな?
「そうですね。本当に驚きしかなかったです」
「正直、高卒でプロ入りするのは無理だと感じていました。8月4日に手術をしたんですけど、この時点ではどこからもオファーが届いていなかったんですよ。なので、入院中はどこの大学に進学しようかなって感じでした。本当に不安しかなかった。もちろん怪我から復帰すれば、サッカーは大学でできるんですけど、病室でかなり考えましたね」
――弱音を吐いたりとかもあったのでしょうか?
「誰にも弱音は言わなかったですね。自分としては前向きに捉えようと心掛け、怪我をしている間に自分の弱点であるフィジカル面を鍛える時間ができたと考えていましたから。この時間をプラスに捉えようと言い聞かせていたので、弱音を吐く時はありませんでした」
――入院中に考えを整理していくなかで、鹿島からオファーが届いたのはいつでしょうか?
「8月の中旬ぐらいです。退院した日に話がありました」
――その時の感情は?
「元々、藤島崇之監督から『ビッククラブから話がきているぞ』と言われていたので、どこだろうと思っていたら、『鹿島アントラーズ』と伝えられたんです。びっくりするというよりも、『え?』みたいな感じで、もう放心状態。いろんな感情が混じっていて、頭の中で情報が整理できなかったですね」
――「自分は怪我しているのに」、「なんで俺?」みたいな?
「そうですね。本当に驚きしかなかったです」
――オファーが届いてからの“決断”は?
「決める前に練習参加したかったんですけど、怪我をしているのでそれはできない。ただ、そのような状況下で自分に声をかけてくれたのは、クラブが期待してくれている証。話を聞いた時点で『鹿島に行こう』ってすぐに決めましたね」
――10月の中旬に行なわれた選手権予選の3回戦で途中出場して、復帰を果たしました。今度は鹿島入りが決まっている選手として見られてのプレーでしたが、プレッシャーを感じたりしたのでは?
「そうですね。(FC東京に加入が決まっている荒井)悠汰を見ていたら、プレッシャーがかかるのは分かっていました。復帰して間もない時期だったので、鹿島に入団できるレベルかどうか不安があって、そのプレッシャーがあって怖さがありましたね」
――リハビリ期間中はフィジカルを強化していましたが、実際にその取り組みと成果はどうでしたか?
「下半身はあまり鍛えられなかったので、上半身を徹底的にやりました。昌平のトレーナーからメニューをもらって、肩とか腕を中心に鍛えていましたね。ただ、復帰2戦目となった選手権予選・準々決勝の埼玉栄戦は本当にダメでした。怪我をしてから初めて先発出場をしたんですけど、過去最悪のプレーだったんです」
――最悪だったというのは?
「失点に絡んでしまい、今までになかったような抜かれ方をしたんです。あれは自分のプレーではなかったですね。痛さを庇ってしまって、強く相手にいけなくて外されてしまった。まだ痛みもあってテーピングでガチガチに固めていたので可動域も狭い。めちゃくちゃ怖さがあって、本当に最悪なプレーでした」
「決める前に練習参加したかったんですけど、怪我をしているのでそれはできない。ただ、そのような状況下で自分に声をかけてくれたのは、クラブが期待してくれている証。話を聞いた時点で『鹿島に行こう』ってすぐに決めましたね」
――10月の中旬に行なわれた選手権予選の3回戦で途中出場して、復帰を果たしました。今度は鹿島入りが決まっている選手として見られてのプレーでしたが、プレッシャーを感じたりしたのでは?
「そうですね。(FC東京に加入が決まっている荒井)悠汰を見ていたら、プレッシャーがかかるのは分かっていました。復帰して間もない時期だったので、鹿島に入団できるレベルかどうか不安があって、そのプレッシャーがあって怖さがありましたね」
――リハビリ期間中はフィジカルを強化していましたが、実際にその取り組みと成果はどうでしたか?
「下半身はあまり鍛えられなかったので、上半身を徹底的にやりました。昌平のトレーナーからメニューをもらって、肩とか腕を中心に鍛えていましたね。ただ、復帰2戦目となった選手権予選・準々決勝の埼玉栄戦は本当にダメでした。怪我をしてから初めて先発出場をしたんですけど、過去最悪のプレーだったんです」
――最悪だったというのは?
「失点に絡んでしまい、今までになかったような抜かれ方をしたんです。あれは自分のプレーではなかったですね。痛さを庇ってしまって、強く相手にいけなくて外されてしまった。まだ痛みもあってテーピングでガチガチに固めていたので可動域も狭い。めちゃくちゃ怖さがあって、本当に最悪なプレーでした」