特別な才能を開花させるための努力を…
ここが凋落の始まりだ。
1年目のリバプールで壁にぶち当たると、翌15-16シーズンからローン移籍を繰り返す“ジャーニーマン”に変貌。フェネルバフチェ、スポルティング、ハル、アンデルレヒトと、いずれのクラブにおいても主役を演じる日はついぞ訪れず、19年1月には同胞のアレクサンダル・ ミトロビッチの助けもあり、フルアムに完全移籍した。しかし、半年間でわずか1試合出場に終わり、リバプール加入前の輝きを取り戻せなかった。
19年9月にはパルチザンに復帰したが、その姿は見るも無惨なものに。フィジカルの衰えが顕著なうえ、負傷を繰り返した。それはおそらく不摂生な日常を反映したものだろう。
加入2年目こそ、腕章を巻いてゴールやアシストを重ねたが、翌21-22シーズンはリーグ戦で無得点に終わり、28歳にして自身が育ったクラブから放逐された。かつての彼を「マルケツ」の愛称で親しんでいたファンからも、いまではすっかりそっぽを向かれている。
つまるところ、彼はその特別な才能を開花させるための努力を怠り、それに見合うキャリアよりも大金を選んだわけだ。18年夏、アンデルレヒトから完全移籍のオファーがあったにもかかわらず、リバプールのベンチを温めながら、週給4万ポンド(当時のレートで約600万円)を受け取る日々を優先して選んだように。
母国の名門を追われたマルコビッチは22年夏、トルコのガジアンテプと2年契約を結んだ。ここからキャリアを好転させられるかはわからない。
文●ウラジミール・ノバク
翻訳●井川洋一
※『ワールドサッカーダイジェスト』2022年10月20日号より加筆・修正
1年目のリバプールで壁にぶち当たると、翌15-16シーズンからローン移籍を繰り返す“ジャーニーマン”に変貌。フェネルバフチェ、スポルティング、ハル、アンデルレヒトと、いずれのクラブにおいても主役を演じる日はついぞ訪れず、19年1月には同胞のアレクサンダル・ ミトロビッチの助けもあり、フルアムに完全移籍した。しかし、半年間でわずか1試合出場に終わり、リバプール加入前の輝きを取り戻せなかった。
19年9月にはパルチザンに復帰したが、その姿は見るも無惨なものに。フィジカルの衰えが顕著なうえ、負傷を繰り返した。それはおそらく不摂生な日常を反映したものだろう。
加入2年目こそ、腕章を巻いてゴールやアシストを重ねたが、翌21-22シーズンはリーグ戦で無得点に終わり、28歳にして自身が育ったクラブから放逐された。かつての彼を「マルケツ」の愛称で親しんでいたファンからも、いまではすっかりそっぽを向かれている。
つまるところ、彼はその特別な才能を開花させるための努力を怠り、それに見合うキャリアよりも大金を選んだわけだ。18年夏、アンデルレヒトから完全移籍のオファーがあったにもかかわらず、リバプールのベンチを温めながら、週給4万ポンド(当時のレートで約600万円)を受け取る日々を優先して選んだように。
母国の名門を追われたマルコビッチは22年夏、トルコのガジアンテプと2年契約を結んだ。ここからキャリアを好転させられるかはわからない。
文●ウラジミール・ノバク
翻訳●井川洋一
※『ワールドサッカーダイジェスト』2022年10月20日号より加筆・修正