外国人が日本に来て「アンビリーバブル」だと思うものとは。
日本を『考える国』としたのは、良い意味でも悪い意味でもだ。
良い意味では、どのスポーツでも外国人監督が言う日本人選手は「真面目で勤勉である」ということ。最近、ラグビーなどからもこの日本人選手の勤勉さが話題になる。サッカー界ではかなり前(10年前のS級ライセンス時)から言われているが。ただ考え過ぎると大変なことになる。
頭が疲れてろくなことを考えなくなり、身体がネガティブに働く。タイに住んでいる日本人の友人がよく言っていた。
「タイ人は、『なぜ日本はあんなに素晴らしい国で発展しているのに、自殺する人が多いのか?』と疑問を抱いている」と。タイより裕福な国民なのに、だ。
これはブラジル人も同じようなことを言っていた。僕が留学していた頃のブラジルは物が食べられなくて死んで行く人がいた時代だ。なぜ、日本人に自殺する人が多いのか分からないと……。僕の友人は中学の先生をやっていたが、彼は僕にこんなことを言った。
自殺は誰が悪いのか――?
それは中学生のイジメによる自殺についてだ。きっと日本では思っていても、感じていてもタブーなのだろう。
「それはいじめた人間と、それをコントロールできなかった人にしかあたらない」と答えると、「なぜ? 本人は悪くないのか?」と友人はストレートに僕に言った。そして彼の口癖でもあるが、「手の平は、足の裏は本当に死にたがっているのか?」と言う。
「死にたがっているのは頭だ」と。
これをストレートに僕に言ってきたことが、僕が彼を信用するひとつの要因でもある。
そして彼が読んでみればと貸してくれた本(題名も著者も忘れてしまったが)には自殺する人が石に躓いてバランスを崩したらどうなるか? バランスを元通りにして歩く。そのまま地面に頭をぶつけずに身体を危ないと元通りの体勢を戻すはずだと。
不謹慎かもしれないが、それを読んだ時、顔がにやけてしまった。その通りである。身体は死にたがってなんかいない。頭が、思考がそうさせているのだ。
そう考えると日本という国は? の質問に『考える国』というのは余りにもネガティブだ。そうしたことを僕は友人の家族と食事をしている時に質問してみた。
すると、すごく良い『日本人』論が聞けたのだ。外国人が日本に来て感動すること。それは「親切さ」。これには「アンビリーバブル」だと。
その人は日本で、すれ違った年配の女性に道を聞いたらしい。ただ英語が分からず、店は分かっているのだけど説明できない。その女性は「ついて来て」とその人を店の前まで連れて行き、来た道をさらに戻って15分。
その人は本当に日本は素晴らしいと言っていた。と。もちろん、食べ物も好き、街は綺麗、道は整備されていて、自然、緑も多い。京都、奈良はお寺も素晴らしい。
だけど、日本人はもっと素晴らしいと言っていたというのだ。これが日本人なのだと思う。僕らはこの年配の女性をスタンダード(基準)として、日本人を裏切ってはいけない。
タイではサワディーカップから手を合わせスマイルを作るという挨拶があり、ブラジルにはラテンのノリから生まれたサンバのリズムが自然に国民に浸透している。
一方日本では人の心を重んじる『親切さ』が深く根付いている。日本の生活はタイより肩が凝る。自然に考えることが多くなる。これは当然、日本では自然なことだ。
日本人らしく、日本らしさ。
そうしたものから簡単に日本らしい、日本人らしいサッカーをやりたい、やってほしい、あるいはやらせたいと言うが、本当の日本人らしさとはもっとたくさんの意味があり、奥深いのだと思う。
この女性から外国人が感じたように。本当の日本、日本人らしさをもっと知るべきである。
2015年10月28日
三浦泰年
良い意味では、どのスポーツでも外国人監督が言う日本人選手は「真面目で勤勉である」ということ。最近、ラグビーなどからもこの日本人選手の勤勉さが話題になる。サッカー界ではかなり前(10年前のS級ライセンス時)から言われているが。ただ考え過ぎると大変なことになる。
頭が疲れてろくなことを考えなくなり、身体がネガティブに働く。タイに住んでいる日本人の友人がよく言っていた。
「タイ人は、『なぜ日本はあんなに素晴らしい国で発展しているのに、自殺する人が多いのか?』と疑問を抱いている」と。タイより裕福な国民なのに、だ。
これはブラジル人も同じようなことを言っていた。僕が留学していた頃のブラジルは物が食べられなくて死んで行く人がいた時代だ。なぜ、日本人に自殺する人が多いのか分からないと……。僕の友人は中学の先生をやっていたが、彼は僕にこんなことを言った。
自殺は誰が悪いのか――?
それは中学生のイジメによる自殺についてだ。きっと日本では思っていても、感じていてもタブーなのだろう。
「それはいじめた人間と、それをコントロールできなかった人にしかあたらない」と答えると、「なぜ? 本人は悪くないのか?」と友人はストレートに僕に言った。そして彼の口癖でもあるが、「手の平は、足の裏は本当に死にたがっているのか?」と言う。
「死にたがっているのは頭だ」と。
これをストレートに僕に言ってきたことが、僕が彼を信用するひとつの要因でもある。
そして彼が読んでみればと貸してくれた本(題名も著者も忘れてしまったが)には自殺する人が石に躓いてバランスを崩したらどうなるか? バランスを元通りにして歩く。そのまま地面に頭をぶつけずに身体を危ないと元通りの体勢を戻すはずだと。
不謹慎かもしれないが、それを読んだ時、顔がにやけてしまった。その通りである。身体は死にたがってなんかいない。頭が、思考がそうさせているのだ。
そう考えると日本という国は? の質問に『考える国』というのは余りにもネガティブだ。そうしたことを僕は友人の家族と食事をしている時に質問してみた。
すると、すごく良い『日本人』論が聞けたのだ。外国人が日本に来て感動すること。それは「親切さ」。これには「アンビリーバブル」だと。
その人は日本で、すれ違った年配の女性に道を聞いたらしい。ただ英語が分からず、店は分かっているのだけど説明できない。その女性は「ついて来て」とその人を店の前まで連れて行き、来た道をさらに戻って15分。
その人は本当に日本は素晴らしいと言っていた。と。もちろん、食べ物も好き、街は綺麗、道は整備されていて、自然、緑も多い。京都、奈良はお寺も素晴らしい。
だけど、日本人はもっと素晴らしいと言っていたというのだ。これが日本人なのだと思う。僕らはこの年配の女性をスタンダード(基準)として、日本人を裏切ってはいけない。
タイではサワディーカップから手を合わせスマイルを作るという挨拶があり、ブラジルにはラテンのノリから生まれたサンバのリズムが自然に国民に浸透している。
一方日本では人の心を重んじる『親切さ』が深く根付いている。日本の生活はタイより肩が凝る。自然に考えることが多くなる。これは当然、日本では自然なことだ。
日本人らしく、日本らしさ。
そうしたものから簡単に日本らしい、日本人らしいサッカーをやりたい、やってほしい、あるいはやらせたいと言うが、本当の日本人らしさとはもっとたくさんの意味があり、奥深いのだと思う。
この女性から外国人が感じたように。本当の日本、日本人らしさをもっと知るべきである。
2015年10月28日
三浦泰年