「フィジカルに問題はなかった。でもメンタルが…」
リバプールと契約を交わしても1年間はレンタルでそのままル・アーブルに残り、アンフィールド(リバプールの本拠地)に渡ったのは03年夏。このとき行動をともにしたのが、一緒に世界一になったシナマ=ポンゴルだ。
ル・アーブルのアカデミーで切磋琢磨し、「言葉を交わさなくても目と目で分かり合える」というほど息の合ったコンビネーションで向かうところ敵なしだった相棒と、ともにステップアップを果たした。
そのシナマ=ポンゴルは遠縁に当たる。彼の父のいとことル・タレクの叔母が結婚し、縁戚関係が結ばれた。故郷のレユニオン島を離れ、単身ル・アーブルにやって来たシナマ=ポンゴルを受け入れたのがル・タレク家で、すぐに意気投合したアントニーとフロランの厚誼はいまに続く。
ル・アーブルのアカデミーで切磋琢磨し、「言葉を交わさなくても目と目で分かり合える」というほど息の合ったコンビネーションで向かうところ敵なしだった相棒と、ともにステップアップを果たした。
そのシナマ=ポンゴルは遠縁に当たる。彼の父のいとことル・タレクの叔母が結婚し、縁戚関係が結ばれた。故郷のレユニオン島を離れ、単身ル・アーブルにやって来たシナマ=ポンゴルを受け入れたのがル・タレク家で、すぐに意気投合したアントニーとフロランの厚誼はいまに続く。
足並みを揃えて突き進んできたこの盟友と、リバプールでは皮肉にも揃って躓いた。それも大きくだ。うまくいかなかったのは、「我慢が足りなかった」からだと本人は振り返る。引退に際してのインタビューで、ウェブメディア『76actu』にこう語っている。
「とにかく試合に出たくて焦ってしまった。もう少し我慢できれば違うキャリアになっていたかもしれない。レンタルに出してくれと一方的にクラブに要求を突きつけた。それが間違いだったんだと思う」
怪我にも泣かされた。サンテティエンヌでは練習中に足首を痛め、レンタルは半年で打ち切りとなってしまった。出場2試合目でゴールを決める好スタートを切っていただけに無念の離脱だった。もっとも、前述のユーベ戦でのアシストはこのシーズンのことだ。
ル・マンを経て10年夏に加入したオセールでも足首の捻挫で出鼻を挫かれた。10-11シーズンのオセールはCLに出場してグループステージでミラン、レアル・マドリー、アヤックスと同居した。腕を試し、経験を積む絶好の機会だったが、ピッチに立てたのはミランとの初戦の最後の17分間だけだった。
最後はナショナル(3部)のアンシーでユニホームを脱いだ。20-21シーズン終了後だ。契約はあと1年残っていたが、37歳の心が奮い立たなかった。
「フィジカルに問題はなかった。エネルギーも残っていた。でも、メンタルがついてこなかった」
引退後もアンシーにとどまり、ユースチームのコーチになった。目標はスポーツディレクター。そのために、監督として現場に立ってマネジメントの経験を積みたいと言う。将来を明確に見据えている。
文●松野敏史
※『ワールドサッカーダイジェスト』2022年9月15日号より転載
「とにかく試合に出たくて焦ってしまった。もう少し我慢できれば違うキャリアになっていたかもしれない。レンタルに出してくれと一方的にクラブに要求を突きつけた。それが間違いだったんだと思う」
怪我にも泣かされた。サンテティエンヌでは練習中に足首を痛め、レンタルは半年で打ち切りとなってしまった。出場2試合目でゴールを決める好スタートを切っていただけに無念の離脱だった。もっとも、前述のユーベ戦でのアシストはこのシーズンのことだ。
ル・マンを経て10年夏に加入したオセールでも足首の捻挫で出鼻を挫かれた。10-11シーズンのオセールはCLに出場してグループステージでミラン、レアル・マドリー、アヤックスと同居した。腕を試し、経験を積む絶好の機会だったが、ピッチに立てたのはミランとの初戦の最後の17分間だけだった。
最後はナショナル(3部)のアンシーでユニホームを脱いだ。20-21シーズン終了後だ。契約はあと1年残っていたが、37歳の心が奮い立たなかった。
「フィジカルに問題はなかった。エネルギーも残っていた。でも、メンタルがついてこなかった」
引退後もアンシーにとどまり、ユースチームのコーチになった。目標はスポーツディレクター。そのために、監督として現場に立ってマネジメントの経験を積みたいと言う。将来を明確に見据えている。
文●松野敏史
※『ワールドサッカーダイジェスト』2022年9月15日号より転載