「周りから『やる気がない』という声は聞こえてきた」
高2の段階で現実を見た熊澤は、「運が良くてJリーグに入れるくらいなら大学に行こうと思っていました」と、大学4年間での成長とプロ入りへの気持ちを固めた。では、大学4年間をどう過ごせばプロになれるのか。そう考えた時、自分に決定的に足りない部分に『ようやく』気が付くことができた。
「ボールを奪う能力だったり、『どこが危険か』をどれだけ察知してポジションを取ったり、ボールを奪いにいく力が高校時代は何もなかったと言ってもいいくらい何もできなかった。大学4年間で自分の足りないところを埋めて、克服して短所をなるべく長所にしてプロに臨もうと思いました」
先ほど『ようやく』と強調したのは、守備が課題であることは高校時代から何度も指摘されていたからだ。しかし、当時の熊澤は頭では理解していても、なかなか表現できなかった。
「周りから『やる気がない』、『守備をする気がない』という声は聞こえてきましたし、僕自身は分かっていたのですが、行動に移せなかったんです。そもそも攻撃したい気持ちばかりが強すぎて、『ボールを取られたら自分で取り返す』という意識がなくて、身体が動かなかった。もうその時点で高卒プロは絶対にないなと思ったんです。
もし、高校の段階で守備の意識を高めて行動に移せていたら、高卒プロは叶った夢かもしれないし、改善に取り組もうという気持ちはあった。でも、できない。僕なりにずっと悩んでいました。当時の僕には攻撃も守備も両方考えるキャパがなかったと思います。だからこそ、人に言われても仕方がないなと思っていました」
「ボールを奪う能力だったり、『どこが危険か』をどれだけ察知してポジションを取ったり、ボールを奪いにいく力が高校時代は何もなかったと言ってもいいくらい何もできなかった。大学4年間で自分の足りないところを埋めて、克服して短所をなるべく長所にしてプロに臨もうと思いました」
先ほど『ようやく』と強調したのは、守備が課題であることは高校時代から何度も指摘されていたからだ。しかし、当時の熊澤は頭では理解していても、なかなか表現できなかった。
「周りから『やる気がない』、『守備をする気がない』という声は聞こえてきましたし、僕自身は分かっていたのですが、行動に移せなかったんです。そもそも攻撃したい気持ちばかりが強すぎて、『ボールを取られたら自分で取り返す』という意識がなくて、身体が動かなかった。もうその時点で高卒プロは絶対にないなと思ったんです。
もし、高校の段階で守備の意識を高めて行動に移せていたら、高卒プロは叶った夢かもしれないし、改善に取り組もうという気持ちはあった。でも、できない。僕なりにずっと悩んでいました。当時の僕には攻撃も守備も両方考えるキャパがなかったと思います。だからこそ、人に言われても仕方がないなと思っていました」
だが、大学に入るとそのキャパのままでは試合に出られない現実があった。2学年上の伊藤敦樹(浦和)、1学年上の菊地、宮本、FW満田誠(広島)、仙波大志(岡山)、MF安居海渡(浦和)、DF佐藤響(京都)、佐々木旭(川崎)ら、そうそうたるメンバーが守備に一切手を抜かず、激しいプレスをかけている姿を見て、熊澤は大きな刺激を受けた。
「僕は一番下の1年だからこそ、人一倍やらないといけないと思ったし、周りがそれ以上にやるので、強烈な責任感を覚えたんです」
高校時代はいわば『王様』だった。守備は関川や宮本を始め、周りの選手が身体を張って守ってくれた。自分は奪ったボールを攻撃につなげたり、ラストパスやフィニッシュでゴールをもたらせば良かった。その環境から一気に立場が変わり、プロで通用するほどの実力のある先輩たちが目の色を変えて守備をする姿に、強烈な危機感を覚えたのだった。
「僕は一番下の1年だからこそ、人一倍やらないといけないと思ったし、周りがそれ以上にやるので、強烈な責任感を覚えたんです」
高校時代はいわば『王様』だった。守備は関川や宮本を始め、周りの選手が身体を張って守ってくれた。自分は奪ったボールを攻撃につなげたり、ラストパスやフィニッシュでゴールをもたらせば良かった。その環境から一気に立場が変わり、プロで通用するほどの実力のある先輩たちが目の色を変えて守備をする姿に、強烈な危機感を覚えたのだった。