「『今は恩返しだ』と思いながら今もずっとやっています」
小澤COOの「西山は『トリニータ愛』のある、クラブへの思いが強いGMです」という一言が私の頭の中にこびりついていた。そこで唐突に「西山さんにとって『トリニータ愛』とは何ですか?」と質問してみた。
「僕自身の?」と一瞬驚いてから、心に残った現役時代のエピソードを教えてくれた。
「現役で8年間、大分でまあまあ長い期間プレーしました。そのなかで(2003年11月に)大怪我をしたことがあって8か月リハビリしました。怪我をしたシーズンのホーム最終戦後、みんなでピッチを周って挨拶しました。僕も松葉杖をつきながら一周した時に盛大な掛け声と応援をしていただいた。そのことが忘れられず『恩返ししたい』と強く思いました。復帰してから、どれだけ恩返しできたか自分にはわかりませんが、その思いは引退してからも変わらず、『今は恩返しだ』と思いながら今もずっとやっています」
「僕自身の?」と一瞬驚いてから、心に残った現役時代のエピソードを教えてくれた。
「現役で8年間、大分でまあまあ長い期間プレーしました。そのなかで(2003年11月に)大怪我をしたことがあって8か月リハビリしました。怪我をしたシーズンのホーム最終戦後、みんなでピッチを周って挨拶しました。僕も松葉杖をつきながら一周した時に盛大な掛け声と応援をしていただいた。そのことが忘れられず『恩返ししたい』と強く思いました。復帰してから、どれだけ恩返しできたか自分にはわかりませんが、その思いは引退してからも変わらず、『今は恩返しだ』と思いながら今もずっとやっています」
GMに就いてからJ3からJ2に上がり、J2からJ1に上がっていった。今はJ2で戦うとする大分だが、西山GMは「昇格の喜びはどんな苦労があっても全てを忘れさせる。また、あれを味わいたいし、みんなにも味わってほしい。それが本当の(自分が仕事をする)原動力です」と語る。
2021年の天皇杯で大分は準優勝をした。「カップ戦決勝はサポーターが半々になって応援合戦をする。リーグ戦とは違った文化がありますよね」と私は尋ねた。
「僕が選手として2008年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)を獲ったとき、決勝の相手は清水でした。国立競技場へは大分のほうが遠いじゃないですか。それでも半分、大分のサポーターで埋まりました。あれはすごかったです。結局の所、ああいう喜びのために我々は仕事をしているんじゃないでしょうか。だから、トリニータを再びタイトルを獲れるクラブにしたいです。
リーグ戦は一番力が試されるところで、より価値は高い。しかし、カップ戦は決勝の舞台でメダルをかけてもらえるんですよ。あれはまた違った喜びです。僕は現役時代、大分と湘南(天皇杯)で優勝しました。決勝戦の後、(ロイヤルボックスまでの)階段を登っていくところとか忘れることができません。だから、また、タイトル獲得を達成して、その喜びをみんなにも経験してほしい」
良いときもあれば悪いときもある。08年ナビスコカップ戴冠の翌年、大分は経営難から消滅の危機を迎えた。
「僕の立場から言うことではないですが、あまりにも紆余曲折しているクラブで。J1を経験したクラブでJ3(2016年)まで落ちたクラブは、うち以外になかったですからね。本当にいろいろな方に支えられているクラブだと思います。
あとは在籍した選手たちがオフの期間によく大分に遊びに来るんですよ。温泉があったり食事が美味しいということもありますが、大分は何か人の温かさがある土地だと思います。私たちとしても『人を大事にするクラブでありたい』と、ずっとやっているつもりです。もちろん契約満了(で退団)とかありますよ。とはいえ、人を大事にする温かいクラブでありたいですね」
そんな土地柄、クラブカラーに西山GMはハマってしまったのだろうか?
「僕自身、そうですね。20年、まさかこんなに長くいるとは思ってませんでした。これだけ全身、大分にハマっちゃっているので、一生捧げるぐらいの町ですよね。ただ、自分の意志ではどうにもならないことがあるので、認めてもらえる存在にもっとならないといけません。
そのためには勝つことも大事。そこにコミットしながら仕事をしていきます。愛されるクラブにするために、地元の選手を増やしていくということが、今の我々のプロジェクトです。最終的にホームグロウンの選手が大きなパーセンテージを占めるようにしたいと思ってます」
取材・文●中田 徹
2021年の天皇杯で大分は準優勝をした。「カップ戦決勝はサポーターが半々になって応援合戦をする。リーグ戦とは違った文化がありますよね」と私は尋ねた。
「僕が選手として2008年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)を獲ったとき、決勝の相手は清水でした。国立競技場へは大分のほうが遠いじゃないですか。それでも半分、大分のサポーターで埋まりました。あれはすごかったです。結局の所、ああいう喜びのために我々は仕事をしているんじゃないでしょうか。だから、トリニータを再びタイトルを獲れるクラブにしたいです。
リーグ戦は一番力が試されるところで、より価値は高い。しかし、カップ戦は決勝の舞台でメダルをかけてもらえるんですよ。あれはまた違った喜びです。僕は現役時代、大分と湘南(天皇杯)で優勝しました。決勝戦の後、(ロイヤルボックスまでの)階段を登っていくところとか忘れることができません。だから、また、タイトル獲得を達成して、その喜びをみんなにも経験してほしい」
良いときもあれば悪いときもある。08年ナビスコカップ戴冠の翌年、大分は経営難から消滅の危機を迎えた。
「僕の立場から言うことではないですが、あまりにも紆余曲折しているクラブで。J1を経験したクラブでJ3(2016年)まで落ちたクラブは、うち以外になかったですからね。本当にいろいろな方に支えられているクラブだと思います。
あとは在籍した選手たちがオフの期間によく大分に遊びに来るんですよ。温泉があったり食事が美味しいということもありますが、大分は何か人の温かさがある土地だと思います。私たちとしても『人を大事にするクラブでありたい』と、ずっとやっているつもりです。もちろん契約満了(で退団)とかありますよ。とはいえ、人を大事にする温かいクラブでありたいですね」
そんな土地柄、クラブカラーに西山GMはハマってしまったのだろうか?
「僕自身、そうですね。20年、まさかこんなに長くいるとは思ってませんでした。これだけ全身、大分にハマっちゃっているので、一生捧げるぐらいの町ですよね。ただ、自分の意志ではどうにもならないことがあるので、認めてもらえる存在にもっとならないといけません。
そのためには勝つことも大事。そこにコミットしながら仕事をしていきます。愛されるクラブにするために、地元の選手を増やしていくということが、今の我々のプロジェクトです。最終的にホームグロウンの選手が大きなパーセンテージを占めるようにしたいと思ってます」
取材・文●中田 徹