プロ入りした市原での2年間は、プロの壁にぶつかった。
――佐藤選手の場合、03年に仙台に移籍して以降、得点数が一気に伸びていきます。市原(現・千葉)、C大阪時代から一番変わった部分はなんでしょう?
「ユース年代で結果を残して、ある程度自信を持ってプロの世界に入りました。でも、自分自身の力のなさやJリーグでゴールを決める難しさに直面して、プロの壁にぶつかったのが市原での2年間。そのなかでセレッソに行って、いろんなタイプのストライカーと出会い、自分がやるべきことが少しずつ見えてきたんです。
それまでの自分は、監督に『使ってみたい』『コイツならなにかやってくれるんじゃないか』と思わせるインパクトが足りなかった。仙台で出場機会を得て、ゴールという結果が出てきたのはセレッソでの1年間が大きかったと思います」
――仙台時代は「風の申し子」と呼ばれ、スピードを武器とするスタイルでしたね。
「03年は初めてレギュラーを取って、FWとしてゴールを挙げ始めたシーズン。ただ、チームとしての結果が伴わない悔しさ(J2降格)と、“ある程度”の数字を残すだけでは駄目だという現実を思い知らされた年でもあります。
J2を戦った翌年は自分もチームも結果を出せるかなと思っていたんですけど、チームは一度も昇格争いに加われず、自分もスタメンから外れる時期もあった。理想と現実のギャップ、結果を出し続けなければピッチに立てない危機感を、若い時に味わえたのが自分の礎になっているのかなと。
まずは自分がなにを求められているかを理解しなきゃいけないし、同時になにが自分のストロングポイントかも分かっていけないといけない。そういう意味で、プレーの整理は不可欠です。
例えば3トップのウイングだと、ゴールから離れてプレーする時間が多くて、なかなかゴールに直結する動きは難しい。2トップならよりゴールに近い場所でプレーできる利点があって、逆に1トップだとある程度起点になる動きも必要になる。戦術的な役割が多岐に渡るなかで、それを理解して質の高いプレーに変えていくことが大事です」
(※このインタビューの続きは『サッカーダイジェスト』10月8日号 巻頭特集にて)
取材・文:小田智史(サッカーダイジェスト編集部)
「ユース年代で結果を残して、ある程度自信を持ってプロの世界に入りました。でも、自分自身の力のなさやJリーグでゴールを決める難しさに直面して、プロの壁にぶつかったのが市原での2年間。そのなかでセレッソに行って、いろんなタイプのストライカーと出会い、自分がやるべきことが少しずつ見えてきたんです。
それまでの自分は、監督に『使ってみたい』『コイツならなにかやってくれるんじゃないか』と思わせるインパクトが足りなかった。仙台で出場機会を得て、ゴールという結果が出てきたのはセレッソでの1年間が大きかったと思います」
――仙台時代は「風の申し子」と呼ばれ、スピードを武器とするスタイルでしたね。
「03年は初めてレギュラーを取って、FWとしてゴールを挙げ始めたシーズン。ただ、チームとしての結果が伴わない悔しさ(J2降格)と、“ある程度”の数字を残すだけでは駄目だという現実を思い知らされた年でもあります。
J2を戦った翌年は自分もチームも結果を出せるかなと思っていたんですけど、チームは一度も昇格争いに加われず、自分もスタメンから外れる時期もあった。理想と現実のギャップ、結果を出し続けなければピッチに立てない危機感を、若い時に味わえたのが自分の礎になっているのかなと。
まずは自分がなにを求められているかを理解しなきゃいけないし、同時になにが自分のストロングポイントかも分かっていけないといけない。そういう意味で、プレーの整理は不可欠です。
例えば3トップのウイングだと、ゴールから離れてプレーする時間が多くて、なかなかゴールに直結する動きは難しい。2トップならよりゴールに近い場所でプレーできる利点があって、逆に1トップだとある程度起点になる動きも必要になる。戦術的な役割が多岐に渡るなかで、それを理解して質の高いプレーに変えていくことが大事です」
(※このインタビューの続きは『サッカーダイジェスト』10月8日号 巻頭特集にて)
取材・文:小田智史(サッカーダイジェスト編集部)