「コインは丸く見えるけど、角度によっては長方形にも見える」
座右の銘は、「動く!」である。
週刊サッカーダイジェスト誌で『ジュニア倶楽部』という長期連載を持ち、育成年代のサッカーに精通していたのが、作家の大貫哲義さんだ。筆者も晩年にお世話になった恩人で、2007年に79歳で他界された。小嶺先生とは、先生が島原商で指導を始めた当初から親交があったという。
そして1992年に発刊された書籍が『動! 小嶺忠敏のサッカー熱い風』。小嶺監督は当初、この“動!”にいい印象を抱かなかった。自分はせわしなく動く、そういうタイプの人間ではないと考えていたからだ。
大貫さんに真意を問うと、まるで想像していなかった返答を得たという。
「大貫さんは、あの高村光太郎さん(作家、歌人、彫刻家)のお弟子さんだったんですね。亡くなる前に病室に呼ばれて、師匠がひとつの彫像を指さしたらしいんです。『おい大貫、その彫刻は動くか?』『動きません』『じゃあ横から、上から、後ろから見てみろ。形は一緒か?』。そう言われて感銘を受けたと。物自体は動かないけれども、自分が動くことによってまるで形は違って見える。コインにしてもそうでしょう。丸く見えるけど、角度によっては長方形に見える。
で、大貫さんがこう言うわけだ。『あんたは島原商業の部員13人のところから始めて、自分でバスを運転して遠征した日本第1号の指導者だ。いろんな角度から自分を磨いてきた。だから本を書くなら、タイトルは“動”にすると決めていたんだ』。それを聞いて、思うところがあったね。あれからずっと、色紙にも“動!”と書いてますよ」
見る角度や接し方を変えることで、子どもたちの良さを存分に引き出す。小嶺先生が無意識のうちに身に付けていた極意を、大貫さんはひとつの文字で端的に表現し切ったのだ。唸るしかないエピソードである。
「たまにこう言われるんだよね。『あの小嶺さんの“動!”という言葉はいいですね。やっぱりサッカーは動かなきゃいけないですからね』と。いやいや、違うんだけど、と言っても話が長くなるから、『そうですなー』と答えている(笑)。そういう意味なんだと、ちゃんと書いといてもらえるかな?」
週刊サッカーダイジェスト誌で『ジュニア倶楽部』という長期連載を持ち、育成年代のサッカーに精通していたのが、作家の大貫哲義さんだ。筆者も晩年にお世話になった恩人で、2007年に79歳で他界された。小嶺先生とは、先生が島原商で指導を始めた当初から親交があったという。
そして1992年に発刊された書籍が『動! 小嶺忠敏のサッカー熱い風』。小嶺監督は当初、この“動!”にいい印象を抱かなかった。自分はせわしなく動く、そういうタイプの人間ではないと考えていたからだ。
大貫さんに真意を問うと、まるで想像していなかった返答を得たという。
「大貫さんは、あの高村光太郎さん(作家、歌人、彫刻家)のお弟子さんだったんですね。亡くなる前に病室に呼ばれて、師匠がひとつの彫像を指さしたらしいんです。『おい大貫、その彫刻は動くか?』『動きません』『じゃあ横から、上から、後ろから見てみろ。形は一緒か?』。そう言われて感銘を受けたと。物自体は動かないけれども、自分が動くことによってまるで形は違って見える。コインにしてもそうでしょう。丸く見えるけど、角度によっては長方形に見える。
で、大貫さんがこう言うわけだ。『あんたは島原商業の部員13人のところから始めて、自分でバスを運転して遠征した日本第1号の指導者だ。いろんな角度から自分を磨いてきた。だから本を書くなら、タイトルは“動”にすると決めていたんだ』。それを聞いて、思うところがあったね。あれからずっと、色紙にも“動!”と書いてますよ」
見る角度や接し方を変えることで、子どもたちの良さを存分に引き出す。小嶺先生が無意識のうちに身に付けていた極意を、大貫さんはひとつの文字で端的に表現し切ったのだ。唸るしかないエピソードである。
「たまにこう言われるんだよね。『あの小嶺さんの“動!”という言葉はいいですね。やっぱりサッカーは動かなきゃいけないですからね』と。いやいや、違うんだけど、と言っても話が長くなるから、『そうですなー』と答えている(笑)。そういう意味なんだと、ちゃんと書いといてもらえるかな?」
すっかり日が落ちた別れ際、いつも電話ばかりするのも迷惑だからメールで連絡してもいいですか、と訊くと、先生はおもむろにガラケーを取り出してこう答えた。
「いやいや、電話でいいんだ。なるだけ出るようにしとるから。それでも忙しくて出れんときは、留守電に入れといてくださいと言う。ショートメールでもいいです、でも打ち返せないのであしからず、ってな具合でね」
私は25年間、ずっと小嶺さんを“先生”と呼んでいた。いつもなにかを学びたいと感じさせてくれる存在だったからで、聞かせてもらった言葉のすべては宝物のごとく、いまでも大切にしている。積み上げた高校タイトルの金字塔だけでは語りつくせない。日本サッカー界の進化を支えた、広く深く沁み込んだ“イズム”があると信じる。
きっと天国から、厳しくも優しい眼差しで、日本サッカーの行く末を見守ってくれるはずだ。心よりご冥福をお祈りいたします。
文●川原 崇(サッカーダイジェストWeb編集部)