「俺はまだまだ違いを見せる自信がある」30代後半から輝けたワケ
「個と組織の融合」の重要性をより痛感したのが、名古屋の後、2015年に赴いたセレッソ大阪だ。当時のチームには南アW杯MVPのディエゴ・フォルランが在籍し、非常に大きな刺激を受けたという。
「フォルランからは、シュートを打つ大事さ、貪欲さを学んだ。多少、難しい位置や角度でも関係なく蹴っていた。あれを積み重ねることで、スペインリーグ得点王になったんだと実感したんです。彼のプレーを間近で見ながら『こういうところでシュート狙うんだ』『こういう動きするんだ』と感じる場面はたくさんあったし、すごく勉強になったよね。
彼のような世界的トップ選手と若い日本人選手の架け橋になることをセレッソ時代は意識していた。周りをどう生かせばいいかつねに考えていた。自分の役割や何をすべきかを真剣に考えたし、サッカーを俯瞰して見るようにもなったのかな。
ひとりの選手が生き延びるために必要なのは、技術とビジョン。そこがクリアになれば、長生きできる秘訣も分かってくるからね」
30代後半にさしかかった玉田は、この時改めてサッカーの奥深さや魅力に目覚めたようだ。
「フォルランからは、シュートを打つ大事さ、貪欲さを学んだ。多少、難しい位置や角度でも関係なく蹴っていた。あれを積み重ねることで、スペインリーグ得点王になったんだと実感したんです。彼のプレーを間近で見ながら『こういうところでシュート狙うんだ』『こういう動きするんだ』と感じる場面はたくさんあったし、すごく勉強になったよね。
彼のような世界的トップ選手と若い日本人選手の架け橋になることをセレッソ時代は意識していた。周りをどう生かせばいいかつねに考えていた。自分の役割や何をすべきかを真剣に考えたし、サッカーを俯瞰して見るようにもなったのかな。
ひとりの選手が生き延びるために必要なのは、技術とビジョン。そこがクリアになれば、長生きできる秘訣も分かってくるからね」
30代後半にさしかかった玉田は、この時改めてサッカーの奥深さや魅力に目覚めたようだ。
その感覚をより研ぎ澄ませてくれたのが、2017年に復帰した名古屋で師事した風間八宏監督(現セレッソアカデミー技術委員長)であった。
「風間さんからは学ぶことがすごく多かった。今の川崎フロンターレのベースを作った方だけど、人とボールが流動的に動き、全員がやるべきことを共有して戦うという理想的なスタイルを目指していた。僕自身も守って守って1-0で勝つより、派手な打ち合いをして4-3で勝ち切る方が好きだから。
思い返してみれば、中学時代を過ごした市川カネヅカFCも習志野高校もそうだった。風間さんとサッカー観を共有しながら、高みを目指せたのは大きかったですね」と彼はしみじみと語っていた。
風間監督とともに仕事をしたのはわずか2年間。それでも、自身の志向するサッカースタイルが明確になったという意味では、非常に価値ある時間だったと言っていいはずだ。ひとりのアタッカーとしても、2017年はJ2で28試合出場6ゴール、2018年はJ1で24試合出場3ゴールと37~38歳とは思えないほどのインパクトを残すことに成功した。「俺はまだまだ違いを見せる自信がある」と当時の彼は口癖のように話していたが、確固たる自信を与えてくれた指揮官には心から感謝しているはずだ。
ストイコビッチ、フォルラン、風間八宏。3人の恩人との出会いがあったからこそ、玉田圭司は30~40代にかけて一段階二段階の飛躍を遂げ、輝きを放ち続けることができた。そこは彼のサッカー人生において特筆すべき点だろう。
※後編に続く。次回は12月27日(月)に掲載します。
取材・文●元川悦子(フリーライター)
「風間さんからは学ぶことがすごく多かった。今の川崎フロンターレのベースを作った方だけど、人とボールが流動的に動き、全員がやるべきことを共有して戦うという理想的なスタイルを目指していた。僕自身も守って守って1-0で勝つより、派手な打ち合いをして4-3で勝ち切る方が好きだから。
思い返してみれば、中学時代を過ごした市川カネヅカFCも習志野高校もそうだった。風間さんとサッカー観を共有しながら、高みを目指せたのは大きかったですね」と彼はしみじみと語っていた。
風間監督とともに仕事をしたのはわずか2年間。それでも、自身の志向するサッカースタイルが明確になったという意味では、非常に価値ある時間だったと言っていいはずだ。ひとりのアタッカーとしても、2017年はJ2で28試合出場6ゴール、2018年はJ1で24試合出場3ゴールと37~38歳とは思えないほどのインパクトを残すことに成功した。「俺はまだまだ違いを見せる自信がある」と当時の彼は口癖のように話していたが、確固たる自信を与えてくれた指揮官には心から感謝しているはずだ。
ストイコビッチ、フォルラン、風間八宏。3人の恩人との出会いがあったからこそ、玉田圭司は30~40代にかけて一段階二段階の飛躍を遂げ、輝きを放ち続けることができた。そこは彼のサッカー人生において特筆すべき点だろう。
※後編に続く。次回は12月27日(月)に掲載します。
取材・文●元川悦子(フリーライター)