阿部と坂本の関係
千葉時代は彼を「阿部」や「阿部ちゃん」と呼ぶ選手が多かった。しかし、「勇樹」と呼ぶのが坂本將貴(現千葉コーチ)だ。ふたりは選手時代はもちろん、坂本が引退後も公私ともに仲が良く、連絡を取り合っていた。市原時代は阿部が坂本の家に入り浸っており、よくこんなに一緒にいるものだと思ったものだ。阿部の移籍後も、「この前、勇樹と〇〇して」という報告をよく耳にした。そんな坂本がある日、ボソリとつぶやいた。「今年で、勇樹……、千葉より浦和での在籍期間の方が長くなっちゃった……」。坂本のその一言は、もう、千葉には戻ってこないことを覚悟をしたかのように聞こえた。その当時はジュニアユース、ユース時代を含めずに比較した年数だったと記憶しているが、今では、アカデミー時代を含めても、浦和在籍年数の方が長くなってしまっただけに、千葉の阿部をずっと見てきた人間としては少し寂しい思いだ。
阿部は若い頃、ケガが多かった。高校生Jリーがーとなって、各年代別代表にも選出されていたが、ケガのためワールドユースには出場できなかった。だからこそ、身体のケアや自ら身に付けるモノなどへの思い入れは人一倍強い。スパイクへの注文はもちろんのこと、レガースも大きめのものを好んだと聞いたことがある。浦和では早い時間からクラブハウスに入り、入念にケアを行なっているとも聞く。鉄人と呼ばれ、J1通算589試合出場を果たし、40歳までプレーが続けられたのは、何よりも、本人の努力の賜物だった。
引退会見で指導者を目指すと話した。ここまでの歴史を見れば当然の道だと思う。すべての人を魅了するその人柄と、これまでの多くの経験をぜひ、次の世代へと引き継いでいってほしい。
取材・文●加茂郁実(フリーライター)
引退会見で指導者を目指すと話した。ここまでの歴史を見れば当然の道だと思う。すべての人を魅了するその人柄と、これまでの多くの経験をぜひ、次の世代へと引き継いでいってほしい。
取材・文●加茂郁実(フリーライター)