良質の割に結果が伴わなかった時代には無縁だった「瀬戸際の勝負強さ」という顔
三笘薫と田中碧は、既に欧州行きを止められるレベルではなくなっていたので、当然想定済みの移籍だったに違いない。実際ふたりが去った影響は露骨に現われ、一時は横浜に勝ち点1差まで迫られた。だがそこで鬼木監督は「焦れずに我慢」だと言い聞かせた。こうして橘田がシミッチに代わってアンカーに定着し、宮城天のようなラッキーボーイも誕生したわけだが、伸びたのは新しい選手たちばかりではなかった。「責任を感じ相当追い込んでいた」と登里亨平が証言した旗手は、確かにチームを牽引していこうという意欲を漲らせ、体現し続けた。また中核になった脇坂からも同様の責任感や矜持が伝わって来た。
結局二枚看板が抜けても、川崎はチーム全体で勝ち続けなければいけないという気概を発散し、瀬戸際での勝負強さという新しい顔を披露することになった。それはかつて良質の割には結果が伴わなかった時代には、無縁だったカラーと言えるかもしれない。
確かに現在の年齢構成を考えれば、過渡期はすぐそこにある。だが川崎の強みは、目指すスタイルと欲しい選手像がクラブ全体で共有されているところで、だからこそ獲って来た選手たちが貴重な戦力に化けていく。現状の再生も育成も自在に請け負う体制が続く限り、脆く瓦解してしまうような事態にはならないはずである。
文●加部 究(スポーツライター)
確かに現在の年齢構成を考えれば、過渡期はすぐそこにある。だが川崎の強みは、目指すスタイルと欲しい選手像がクラブ全体で共有されているところで、だからこそ獲って来た選手たちが貴重な戦力に化けていく。現状の再生も育成も自在に請け負う体制が続く限り、脆く瓦解してしまうような事態にはならないはずである。
文●加部 究(スポーツライター)