「僕って周りからは優等生とか、エリートって言われるのですが……」
4月5日、法政大のMF田部井涼が来季、横浜FCに入団することが内定した。田部井と言えば、4年前の全国高校サッカー選手権大会において前橋育英のエースナンバー14を背負い、キャプテンとして同校に初の優勝旗をもたらした。兄・悠(早稲田大)と共に田部井ツインズとして名を馳せた彼ももう大学4年。彼のプロ内定には驚きはないが、リモートインタビューを行ない、じっくり話を聞くと、その決断の裏には『エリート』と見られてきた彼の人知れぬ葛藤があった。
1999年6月25日に群馬県で悠と共に生まれた涼は、地元の図南SC前橋でサッカーを始め、中学時代は強豪・前橋FCでプレー。兄弟揃って前橋育英に進むと、基礎技術が高く、好不調の波も少ない落ち着いたプレースタイルと抜群のキャプテンシーを評価され、高3でチームの象徴的な番号である14番とキャプテンを任された。
キャプテンで14番は3学年上の先輩の鈴木徳真以来で、最後の選手権ではその鈴木世代が成し遂げた選手権準優勝を塗り替えて、伝統校に新たな歴史を刻んだ。チームメイトのDF松田陸、渡邊泰基(現・ツエーゲン金沢)が高卒プロに進む中、関東1部の強豪・法政大に進学をすると、2年時から出番を掴み、昨年は14番を背負って攻守の中心となった。一見、順風満帆に見える歩みだが、彼にはずっと抱えてきた悩みがあった。
「僕って周りからは優等生とか、エリートって言われるのですが、逆にそれが僕のマイナス面だと思うんです」
確かに彼のプレーは堅実だ。ミスが少なく、戦術理解度も高く、チームのバランスを最後まで考えてプレーをしてくれる。監督としてみれば、必ず1人はピッチに置いておきたい存在であることは間違いない。
だが、忠実にできる、計算できるという言葉には、「驚きがない」、「想像を超えてこない」という相反する言葉も内在する。
「昔からやんちゃな悠の一歩後ろに下がって、全体の様子を見渡すような性格でした。なので、サッカー面でも『俺が、俺が』ではなく、みんなをサポートして輝かせるのが僕の仕事だと思っていた。中学時代からそのプレースタイルに将来的に『このままでプロになれるのかな』と不安は常に持っていたけど、選手権に優勝して、法政大に入ることができて、どこか自分で『これでいいんだ』と思っていた。いや、自分に言い聞かせていた」
1999年6月25日に群馬県で悠と共に生まれた涼は、地元の図南SC前橋でサッカーを始め、中学時代は強豪・前橋FCでプレー。兄弟揃って前橋育英に進むと、基礎技術が高く、好不調の波も少ない落ち着いたプレースタイルと抜群のキャプテンシーを評価され、高3でチームの象徴的な番号である14番とキャプテンを任された。
キャプテンで14番は3学年上の先輩の鈴木徳真以来で、最後の選手権ではその鈴木世代が成し遂げた選手権準優勝を塗り替えて、伝統校に新たな歴史を刻んだ。チームメイトのDF松田陸、渡邊泰基(現・ツエーゲン金沢)が高卒プロに進む中、関東1部の強豪・法政大に進学をすると、2年時から出番を掴み、昨年は14番を背負って攻守の中心となった。一見、順風満帆に見える歩みだが、彼にはずっと抱えてきた悩みがあった。
「僕って周りからは優等生とか、エリートって言われるのですが、逆にそれが僕のマイナス面だと思うんです」
確かに彼のプレーは堅実だ。ミスが少なく、戦術理解度も高く、チームのバランスを最後まで考えてプレーをしてくれる。監督としてみれば、必ず1人はピッチに置いておきたい存在であることは間違いない。
だが、忠実にできる、計算できるという言葉には、「驚きがない」、「想像を超えてこない」という相反する言葉も内在する。
「昔からやんちゃな悠の一歩後ろに下がって、全体の様子を見渡すような性格でした。なので、サッカー面でも『俺が、俺が』ではなく、みんなをサポートして輝かせるのが僕の仕事だと思っていた。中学時代からそのプレースタイルに将来的に『このままでプロになれるのかな』と不安は常に持っていたけど、選手権に優勝して、法政大に入ることができて、どこか自分で『これでいいんだ』と思っていた。いや、自分に言い聞かせていた」