「マラカナンの悲劇」の会場としても有名
ブラジル・リオデジャネイロにあるエスタジオ・ジョルナリスタ・ド・マリオ・フィーリョ、通称マラカナンが、レジェンドの名を冠した名称に変更になるようだ。現地紙『LANCE!』など複数メディアが伝えている。
同スタジアムはジャーナリストのマリオ・フィーリョ氏の働きかけにより、1940年代に建設をスタートし、1950年に開場。「マラカナン」の愛称はスタジアム周辺の地域名からつけられた。
マラカナンで行なわれた歴史的一戦が、開場年に行なわれた母国開催のワールドカップ決勝(当時はノックアウト制を採用していなかったため、実際は勝利した方が優勝となる最終戦)、ウルグアイ戦だ。現在の収容人数は7万8838人だが、なんと当時スタジアムには20万人以上が来場。だが、優勝を信じて疑わなかった国民の期待に反し、1-2でまさかの敗北を喫し、「マラカナンの悲劇」として、ブラジル国民の胸に刻まれている。
2014年のブラジルW杯や2016年のリオデジャネイロ五輪の決勝でも使用された“聖地”は、現地時間9日に州議会の決議の結果、「エドソン・アランチス・ド・ナシメント・レイ・ペレ・スタジアム」への改名が決定。これは元ブラジル代表の大エース、ペレ氏のフルネームと、ポルトガル語で「王様」を意味する「レイ」を掛け合わせたものだ。
同スタジアムはジャーナリストのマリオ・フィーリョ氏の働きかけにより、1940年代に建設をスタートし、1950年に開場。「マラカナン」の愛称はスタジアム周辺の地域名からつけられた。
マラカナンで行なわれた歴史的一戦が、開場年に行なわれた母国開催のワールドカップ決勝(当時はノックアウト制を採用していなかったため、実際は勝利した方が優勝となる最終戦)、ウルグアイ戦だ。現在の収容人数は7万8838人だが、なんと当時スタジアムには20万人以上が来場。だが、優勝を信じて疑わなかった国民の期待に反し、1-2でまさかの敗北を喫し、「マラカナンの悲劇」として、ブラジル国民の胸に刻まれている。
2014年のブラジルW杯や2016年のリオデジャネイロ五輪の決勝でも使用された“聖地”は、現地時間9日に州議会の決議の結果、「エドソン・アランチス・ド・ナシメント・レイ・ペレ・スタジアム」への改名が決定。これは元ブラジル代表の大エース、ペレ氏のフルネームと、ポルトガル語で「王様」を意味する「レイ」を掛け合わせたものだ。
プロジェクトの責任者は、「ブラジルのサッカー界に残した遺産と、それに伴う国への貢献により、世界的に認められている人物にふさわしい敬意を表したものだ」と語っている。今後、州知事の承認を経て正式な名称になるとのことだ。
セレソン歴代最多得点を誇るペレ氏と同スタジアムの関わりは深く、1969年にサントスの一員としてヴァスコ・ダ・ガマと対戦した際に、キャリア通算1000ゴールを決めたほか、1957年の代表デビューと1971年の代表引退試合もここで行なわれている。
一方で、改名反対の声も少なくなく、「建設に尽力したフィーリョ氏の方がふさわしい」という意見や、ミナスジェライスで生まれ、生涯の大半をサンパウロで過ごしたペレ氏ではなく、「リオ出身者が新たな名誉を得るべきだ」という意見が出ているだけでなく、知事に拒否権を行使するよう求める動きもあるようだ。
これに対して担当者側は、周辺のスポーツ複合施設は現在の名称を維持し、フィーリョ氏へのリスペクトも大切にするとしている。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
【PHOTO】「水槽っぽい」「プリンターの中にピッチ」!?世界の“ユニーク”スタジアム特集
セレソン歴代最多得点を誇るペレ氏と同スタジアムの関わりは深く、1969年にサントスの一員としてヴァスコ・ダ・ガマと対戦した際に、キャリア通算1000ゴールを決めたほか、1957年の代表デビューと1971年の代表引退試合もここで行なわれている。
一方で、改名反対の声も少なくなく、「建設に尽力したフィーリョ氏の方がふさわしい」という意見や、ミナスジェライスで生まれ、生涯の大半をサンパウロで過ごしたペレ氏ではなく、「リオ出身者が新たな名誉を得るべきだ」という意見が出ているだけでなく、知事に拒否権を行使するよう求める動きもあるようだ。
これに対して担当者側は、周辺のスポーツ複合施設は現在の名称を維持し、フィーリョ氏へのリスペクトも大切にするとしている。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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