昨年、教え子がつないでくれた縁で南葛SCの岩本GMと会うことに…
悲願の関東リーグ昇格を目指す“南葛SC”。その舵取り役を任されたのが島岡健太監督だ。現役時代は四日市中央工高で高校サッカー選手権を制し、サガン鳥栖などで活躍。引退後は指導者の道へ進み、母校の関西大で長きに渡ってコーチと監督を務め、2016年からは名古屋グランパスでトップチームやU-18のコーチを担当した。
Jクラブを率いた経験はないが、アマチュアからプロまで幅広く携わった経験値は他の追随を許さない。なぜ、今年で指導歴19年目を迎える島岡監督は南葛SCで新たな挑戦を始める決意を固めたのか。そして、南葛SCの雰囲気をどう感じているのか。
シリーズ2回目の今回は、監督就任の経緯と新天地の雰囲気を語ってくれた。
――◆――◆――
名古屋グランパス時代に風間八宏監督から“サッカーのイロハ”を学んだ島岡は、昨年11月末に名古屋との契約満了が決まった。次の行き先を決めてはいなかったが、風間監督からの教えはサッカー界に伝えていきたいと考えていたという。
「自分は風間さんとやらせて頂いたけど、僕はひとりで大きくなったわけではない。大学時代に指導について学ばせていただいた、大阪商業大学の上田亮三郎先生であったり、自分だけではなく、いろんな出会いがあって、いろんなものを得て、影響を受けながら、自分の財産にしたから今がある。その中で風間さんに出会えて得ることができたこの教えは絶対に伝えないといけない」
そう考えていた中で、関西大時代の教え子が自身と南葛SC とを引き合わせる。昨年10月の出来事だ。当時を振り返り、島岡はこう話す。
「GMの岩本さんと最初にお会いしたのは10月ぐらい。僕の教え子を通じてでした。その教え子が岩本さんと仕事をした時にサッカーの話になり、大学時代の監督が風間さんの下でコーチをしていると、伝えてくれたんです。彼が感じていた僕の人となりをいろいろ話してくれて、岩本さんも『1回会う機会があればお会いしたいね』と言ってくれたことがきっかけでした」
自身が展開しているサッカークリニックの関係で上京すると、南葛SCの話を抜きに顔を合わせた。
「埼玉に行く機会があったので、教え子に『昼間なら時間があるけど会えないか』と言ったんです。岩本さんと初めてお会いした時は南葛SCの監督就任とかではなく、『島岡さんのことは聞いていますよ』という感じで、『僕も初めまして』と挨拶するレベルの話でした。お互いの話をして、その時はお別れをしました」
その後、島岡は正式にオファーを受ける。ただ、直ぐに就任を決められたわけではないと話す。
「打診を受けたのですが、話をもらった時に来季の契約がどうなるか分からなかった。なので、名古屋の話を聞いた上で僕の考えを伝えないといけないなと思っていたんです」
そして名古屋との契約満了が決まったタイミングでオファーを快諾し、“南葛SCの島岡監督”が誕生した。
年が変わり、監督として動き始めると、まず驚かされたのは南葛SCに関わる人々が持つ凄まじい熱量だ。
「応援してくれている人や関わってくれている人が凄い。自分の想像を超えているアツさがありました。どんな感じか分からない状態で足を踏み入れた中で、僕自身が高を括って上から見ていたわけではないけど、本当にいろんな方々が支援や応援をしてくださっている。チームの規模も含めて頭を巡らせた時に、その支えられている感じが凄まじかった。名古屋のファミリーも凄かったし、その他を知らないから尚更かもしれないけど、周りの暖かさを感じられるクラブだなと。それはすごく感じていますね」
Jクラブを率いた経験はないが、アマチュアからプロまで幅広く携わった経験値は他の追随を許さない。なぜ、今年で指導歴19年目を迎える島岡監督は南葛SCで新たな挑戦を始める決意を固めたのか。そして、南葛SCの雰囲気をどう感じているのか。
シリーズ2回目の今回は、監督就任の経緯と新天地の雰囲気を語ってくれた。
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名古屋グランパス時代に風間八宏監督から“サッカーのイロハ”を学んだ島岡は、昨年11月末に名古屋との契約満了が決まった。次の行き先を決めてはいなかったが、風間監督からの教えはサッカー界に伝えていきたいと考えていたという。
「自分は風間さんとやらせて頂いたけど、僕はひとりで大きくなったわけではない。大学時代に指導について学ばせていただいた、大阪商業大学の上田亮三郎先生であったり、自分だけではなく、いろんな出会いがあって、いろんなものを得て、影響を受けながら、自分の財産にしたから今がある。その中で風間さんに出会えて得ることができたこの教えは絶対に伝えないといけない」
そう考えていた中で、関西大時代の教え子が自身と南葛SC とを引き合わせる。昨年10月の出来事だ。当時を振り返り、島岡はこう話す。
「GMの岩本さんと最初にお会いしたのは10月ぐらい。僕の教え子を通じてでした。その教え子が岩本さんと仕事をした時にサッカーの話になり、大学時代の監督が風間さんの下でコーチをしていると、伝えてくれたんです。彼が感じていた僕の人となりをいろいろ話してくれて、岩本さんも『1回会う機会があればお会いしたいね』と言ってくれたことがきっかけでした」
自身が展開しているサッカークリニックの関係で上京すると、南葛SCの話を抜きに顔を合わせた。
「埼玉に行く機会があったので、教え子に『昼間なら時間があるけど会えないか』と言ったんです。岩本さんと初めてお会いした時は南葛SCの監督就任とかではなく、『島岡さんのことは聞いていますよ』という感じで、『僕も初めまして』と挨拶するレベルの話でした。お互いの話をして、その時はお別れをしました」
その後、島岡は正式にオファーを受ける。ただ、直ぐに就任を決められたわけではないと話す。
「打診を受けたのですが、話をもらった時に来季の契約がどうなるか分からなかった。なので、名古屋の話を聞いた上で僕の考えを伝えないといけないなと思っていたんです」
そして名古屋との契約満了が決まったタイミングでオファーを快諾し、“南葛SCの島岡監督”が誕生した。
年が変わり、監督として動き始めると、まず驚かされたのは南葛SCに関わる人々が持つ凄まじい熱量だ。
「応援してくれている人や関わってくれている人が凄い。自分の想像を超えているアツさがありました。どんな感じか分からない状態で足を踏み入れた中で、僕自身が高を括って上から見ていたわけではないけど、本当にいろんな方々が支援や応援をしてくださっている。チームの規模も含めて頭を巡らせた時に、その支えられている感じが凄まじかった。名古屋のファミリーも凄かったし、その他を知らないから尚更かもしれないけど、周りの暖かさを感じられるクラブだなと。それはすごく感じていますね」