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「このままじゃ落ちる」8年前に浦和が乗り越えた降格の危機。当時の戦いぶりが残留争いのヒントに

カテゴリ:Jリーグ

佐藤亮太

2019年09月27日

「ヒラ、ツボ、ケイタが中心だった」

2011年当時の浦和レッズのスタメン。鈴木啓太やエジミウソン、原口元気、槙野智章、柏木陽介らが名を連ねている。写真:サッカーダイジェスト写真部

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 浦和レッズが苦しんでいる。ACLは4強に勝ち上がった一方、リーグは26節時点で勝点「31」。得失点差で15位と残留争いの只中にある。

“リーグ低迷”と“ACLでの勢い”。この状況に2011年の浦和が思い出される。

 11年のメンバーは山田暢久、鈴木啓太ら黄金期を支えた選手に原口元気ら生え抜きが加わり、外国籍選手はエジミウソン、マルシオ・リシャルデス、スピラノビッチ、マゾーラで編成された。

 この年、指揮を執ったのがOBのゼリコ・ペトロヴィッチ監督。主に4-3-3の攻撃的なサッカーを志向し、若手起用に舵を切った。リーグ開幕は神戸に0-1で負けたものの2節・名古屋戦で3-0の快勝。期待は膨らんだが、続く仙台戦から3連敗。その後、5試合引き分けとその後も勝ち星はなかった。夏を迎え、得点力アップのためFWデスポトヴィッチを獲得もさらに失速。21節の新潟戦に3-2で勝って以降、2分6敗の8戦勝ちなし。29節の「さいたまダービー」で敗戦。順位は16位に後退。10月20日ゼリコ・ペトロヴィッチ監督が契約解除となった。

「このままじゃ落ちる」「どうにかしないとマズい」

 チームに強い危機感が漂ったのは監督解任前の9月だった。この頃から練習後、自然発生的に選手間ミーティングが開かれるようになった。

「雰囲気がピリピリしていたのを覚えている」と話すのが当時ルーキーの岡本拓也。内容は戦術的な意見交換ではなく「ひとつになって戦おう」とメンタル面が強調された。またミーティングで多く発言したのはベテラン勢だった。現在、強化スタッフの堀之内聖は「ヒラ(平川忠亮)、ツボ(坪井慶介)、(鈴木)ケイタが中心だった。みんなで“やるしかない”と吹っ切れていた」と振り返った。

 また高卒ルーキーの小島秀仁は「(鈴木)啓太さんにどれだけプレッシャーがかかっていたか痛感した。啓太さんがひとりで背負っていたので、凄いなと感じた」とキャプテンの重責を間近で感じていた。
 
 だが一方、ナビスコカップは決勝戦までの6戦無敗で勝ち上がりファイナル進出。鹿島と延長戦までもつれ込み、0-1で惜敗した。このギャップの理由はなにか? 山田直輝は「ナビスコカップ(当時)はたとえ負けても降格しないから、みんな“自分らしくやっていこう”と力を抜いてプレーできた。でもリーグは勝たなきゃという余計な力が入って、みんな力を出せなかった」と振り返る。

 口だけの上っ面な危機感ではなく、差し迫った危機と捉え、共有し、乗り越えようとした当時のチーム。ここに残留した要因のひとつがある。ちなみに堀孝史監督就任後、ミーティングは開かれなかったという。
 
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