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流経大柏高時代に二冠達成も大学で挫折… タイでプロ選手となった30歳の日本人MFが歩んだ紆余曲折

カテゴリ:海外日本人

佐々木裕介

2019年08月22日

タイに渡っていくつもテストを受け、契約を勝ち取るまでに約3か月を費やす

インタビューに応じてくれた小島。高校時代は大前元紀(大宮)らとともに高校二冠に輝いた。写真:佐々木裕介

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 Jリーグでプロになるだけがサッカー選手ではない。外に目を向ければ、Jを知らない日本人選手が巨万といる時代である。
 
 タイでプロとなり、バングラデシュと日本を経て、今季また縁深いタイへと舞い戻った選手がいる。小島聖矢、30歳。プロ選手歴8年目、東南アジアを主戦場としてきた彼のヒューマンストーリーに迫った。
 
――◆――◆――
 
――兄弟揃ってサッカー選手(弟は小島秀仁/ジェフ千葉所属)、環境がそうさせたのでしょうか?
 
「父も高校(古河一高)、大学(法政大)とサッカーをやっていた人間で、母は高校時代にサッカー部のマネージャーを。云わばサッカー一家ですよね、弟も私も自然と球を蹴っていました」
 
――地元クラブで基礎を培った後、高校は“越境”して流経大柏へ進まれています。
 
「当時の千葉は“市船”全盛時代だったんですが、私の代(3年生時)で全国初優勝することが出来たんです。公式戦はインターハイ準決勝で屈した以外は負けた記憶がない、強かったんですよ(照笑)」
 
――そんな順風満帆に見える高校時代の思い出は?
 
「キツかった思い出しかないです。監督(本田裕一郎氏)が求めるものが“質”と“量”の両面でしたから。ひとり走れる子が居れば皆が走れなければいけないし、ひとり技術がある子が居れば皆が同じく出来なければいけない、常に完璧を求めた指導を受けていました。また負けず嫌いの集まりだったので、日々胸ぐらの掴み合いや削り合いが日常茶飯事でした。お陰で試合が楽に感じたくらい、試合の日が嬉しかったですからね。とはいえ、試合に負けたら日が暮れるまで走らされる、その恐怖心から試合では出し惜しみせずに走るみたいな(苦笑)」
 
――大学は流通経済大サッカー部へ。
 
「1年生の時から2軍(JFLでプレー)へ入れてもらえて、2年生で1軍(関東1部でプレー)に、3年生からはボランチで頭から使ってもらえていたんですが大怪我してしまって。その影響で心身共にバランスを崩して立ち直れなかった、いま思えば若かったなと。ただそんな私を傍で見ていてくれたコーチ(大平正軌氏)がタイ行きのチャンスを繋いでくれたんです。有難いですよね」
 
――12年、大学卒業と同時に“プロ選手”を夢見て海を渡りました。
 
「タイへのきっかけは掴みましたが、(契約を)保証されたチームがあった訳ではないんです。いくつもテストを受けて、契約を勝ち取るまでに3か月くらい掛かりました。元々決まっていたアフリカ人選手が査証の都合で来られなくなって、その枠に入り込めたという運も重なって。シーズンが始まる3週間前、移籍市場が閉まるギリギリでした」
 
 
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