Jリーグ創成期を彩った貴公子はなぜ日本へ?
創世記のJリーグを支えたブラジルの“貴公子”レオナルドが、24年の年月を経て、日本挑戦を決意した理由を明かしている。
現地時間10月11日、元ブラジル代表MFで、かつて鹿島アントラーズでプレーしたレオナルドが、ミランのOBニルス・リードホルム氏の名を冠した、サッカーの価値を高めた人間に贈られる賞を受賞した席において、Jリーグ挑戦や日本カルチャーを振り返った。
レオナルドは1994年夏に鹿島に入団し、華麗なプレーを披露。とくに95年、Jリーグ・ニコスシリーズ第19節の横浜フリューゲルス戦で決めたリフティングから相手DFを振り切って決めたボレー弾は、今でもサッカーファンの間で語り草となっている。
当時、セレソン戦士としてもキャリアを築き、94年にはアメリカ・ワールドカップの優勝メンバーにも名を連ねたレオナルドは、なぜJリーグ挑戦を決めたのか? 改めて、その真相を明かしたことを、ミラン専門メディア『Pianeta Milan』が伝えている。
現地時間10月11日、元ブラジル代表MFで、かつて鹿島アントラーズでプレーしたレオナルドが、ミランのOBニルス・リードホルム氏の名を冠した、サッカーの価値を高めた人間に贈られる賞を受賞した席において、Jリーグ挑戦や日本カルチャーを振り返った。
レオナルドは1994年夏に鹿島に入団し、華麗なプレーを披露。とくに95年、Jリーグ・ニコスシリーズ第19節の横浜フリューゲルス戦で決めたリフティングから相手DFを振り切って決めたボレー弾は、今でもサッカーファンの間で語り草となっている。
当時、セレソン戦士としてもキャリアを築き、94年にはアメリカ・ワールドカップの優勝メンバーにも名を連ねたレオナルドは、なぜJリーグ挑戦を決めたのか? 改めて、その真相を明かしたことを、ミラン専門メディア『Pianeta Milan』が伝えている。
「私の人生において、計画を立てることは常に難しいことだ。日本移籍も、2011年のインテルへの入閣も、計画していたものではなく、心が動かされて決めたものだよ。日本行きを決めたのは、私が愛してやまないジーコがいたからだ」
また、鹿島で約2年間プレーしたレオナルドは、言葉の文化についても触れている。在籍当時は、前もって単語を記憶しておくことで日本のファンとコミュニケーションを図っていたようだが、その習得には困難が伴ったという。
「日本語を話すのは、簡単ではなかったよ。だが、アラビア語や中国語より、発音は比較的簡単だ。長く住んでいたから、コミュニケーションをとることはできるけど、今は日本語を読むことはできないよ」
今年7月にミランをアメリカのヘッジファンド『エリオット』が買収したのを機に、古巣のスポーツディレクターに就任。日々、チームの強化に励んでいるレオナルドは、自身の理想とするクラブ像も語った。
「今日のサッカーは、とても重要な産業と化した。世界のサッカーの90%は、ビジネス的な視点で動いている。ただそれらは全て、感情的な事柄を除いては成り立たないものでもある。大金を投資しても勝てないクラブは多くある。伝統と価値が、重要な意味を持つんだ。
アヤックス、バルセロナ、そしてミランは、50年間勝ち続けてきたが、それには強者としての確固たる理由がある。アヤックスはクライフの思想、バルセロナはカタルーニャの誇り、そしてミランには、ベルルスコーニとガッリアーニの理念があった。そういったものがファンを惹きつけ、クラブを予算額に関係なく強くするんだ」
2011年以来、ビッグタイトルから遠ざかっているミランに、レオナルドは再び栄光をもたらせるのか? その手腕に注目したい。